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差別の秘密

この表題は、これから書く文章の内容に必ずしも適切ではないかもしれない。表題を別の言葉で言い換えると、これは「異化(差異化)」と「同化(均質化)」の問題についてのノートである。イギリスに来ていろいろな事をみききするうちに、もしかしたら「異化」と「同化」の視点は、この社会や近代を考える上で、非常に重要ではないかと思い始めた。

イギリスではスーパーや街で子供が歩いている姿を日本ほど見かけない。ときおり子供がいてもかなり大きくなるまでベビーカーにのせられている。まるで犬のようにひもにつながれた子供もよく見る。

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すでに別稿で書いたように、パーティにおいては子供と大人の居場所は両方用意され、厳格に区別されている。病院や旅行代理店の待合室でも、子供用のおもちゃが用意され、大人たちが話をしているあいだ、子供はそこで遊んでいる。ツアーの案内書でも託児付きのパックが用意され、ディナーも別々というものまである。また、よく知られていることだが、かなり小さいうちから子供と大人の寝室は別である。

なるほど、フランスの歴史学者アリエス(Philippe Aries)が著書「<子供>の誕生」のなかで指摘していた「子供」という概念の「発見」とは、こういうことを指すのかと思った。この本は日本では「子供が大人のように働かされていた」という面から理解されている場合が多いが、ヨーロッパ人がイメージしている子供と大人の「区別」は、われわれのイメージとはずいぶん違うものかもしれない。

すくなくともイギリスでは、大人と子供は「まるで別の生き物のように」区別されている。子供と大人が一緒に遊ぶ場合も、必要以上に大人が子供にあわせることはない。むしろ大人と子供では、楽しみが違うと考えているようである。

さて、ここで表題の差別について考えてみる。それでは、イギリスの社会は子供に対して差別的な社会なのだろうか?大人と子供を区別するというのは、差別につながる危険はないのだろうか。簡単には結論をだせないが、少なくとも、子供たちにとっても大人たちにとっても、こうした区別は必ずしも居心地が悪い物ではないようだ。子供はつまらない大人の話につきあう必要はないし。大人も子供のことを気にせずにパーティを楽しめる。

日本では「異化」というとすぐに差別が連想される。そして、その差別を解消するための強力なイデオロギーが「同化」である。「障碍者と健常者に同じ待遇を」「男と女は同じである」。こういう主張にわれわれはあまり違和感を覚えない。

このごろイギリスで自転車に乗っている。日本では、自転車は自動車と歩行者の曖昧な境界を簡単に行き来できる。ある時は歩道を走り、ある時は車道を走り。日本の自転車は融通が利き、とても自由そうにみえる。しかし、はたしてそうだろうか。

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イギリスでは歩行者と自動車とは別に自転車というカテゴリーがある。自転車用の交通ルールが決められ、サイクリングロードや自転車専用レーンが整備されている。厳格に差異化されたシステムの中で自転車はかえって自由が保証されている。日本よりもずっと乗りやすい。

西洋的な動物愛護や自然保護の思想も、異化の原理に基づいているように感じる。自然と人間を別物だと置くことによってはじめて、保護する対象としての自然や、愛護する対象としての動物という考えかたが出てくる。日本人の自然観はどちらかというと同化である。だからたとえば、「自然の中で生きる」といったときに、自然物を利用することに対する抵抗感は少ない。西洋ではむしろ自然にはなるべく手をつけないほうがよい、と考える。

ペットや家畜と、野生動物との間にも境界がひかれている。だからこそ牛を食べることと、イルカを守ることの矛盾もおきないのである。

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むろん異化によって作り出される枠組みが、抑圧として働くこともある。階級、人種、性、西洋が抱える多くの問題は、異化に原因があるという見方もできる。かつて黒人は人間ではなかったし、性は男と女しかなかった。西洋におけるゲイの運動は、もう一つの別の性のあり方を認めよというものだ。

しかし、ここで見失ってはならないのは、「同化」は、それ以上に抑圧装置となりうるという点である。こと日本のような同質的な社会においてその危険性は、さらに大きい。同化は差別を解消するどころか、差別を隠蔽し助長する。

たとえば「ふつうの国」「ふつうの生活」「みんなと同じ幸せ」というきこえのいい言葉(ありえない幻想)が、「ちがう国」「ちがう生活」「みんなとちがう幸せ」にたいして、どれほど暴力的に働きうるかを考えてみればいい。異化社会の顕在化した抑圧と異なり、同化社会の抑圧はしばしば無意識に働き、差別者に特別な自覚がないだけにより根が深い。

同化社会と異化社会では異物に対する社会のスタンスも違う、同化社会は異物に忍耐強く働きかけて取り込もうとする。異化社会は異物が異物のままで成り立つように社会のシステムを変える。

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ぼくは、ここで「どちらのあり方がよい」という結論を出すつもりはない。みてきたように「異化」と「同化」のどちらも、それぞれの危険性をはらんでいる。ただ、日本においては、同化に対する批判が少なすぎるようにも思う。だれもが当たり前の事のように同化のイデオロギーを受け入れてしまう素地がある。

その一方で「近代」とはまさしく異化の過程である。あらゆるものが名付けられ、分類されていく世界。それを恐れては、この社会では生きていけない。

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異物を名付けないままに異物として受け入れる「寛容」とでもいうような思想が、「異化」でも「同化」でもない所から生まれてくればと思うのだが。

土地所有の秘密

バスや電車の中からみられる広大な野原は一体誰のものなのだろう。国土が日本の約3分の2で人口が約半分のこの国は、随所にわたって金網で囲い込まれている。この国において貧富や階級の差は、ひとつにこの広大な土地を持つ者と持たざる者の差に由来する。

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考えてみれば、土地の所有という概念は、人類史上非常に特殊な発明で、土地を私的に所有し相続できるなんて知らなかった時代の人々にとっては、想像だにできないことにちがいない。ちょうど今のわれわれの社会で空気を私的に所有できる主張し「俺の空気を吸うな」なんていうと狂人か笑い者でしかないのと同じように。

「誰もが生まれながらに一定の土地を持つ権利」そういう権利が啓蒙の時代に自然権のひとつとして認められなかったことは、人類史におけるおおきな不幸であろう。

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イギリスにおいて、移民の歴史はまだ過去のものではない。アメリカやカナダやオーストラリアへといまだに移民が続いている。こうした移民の歴史は、この鉄条網で囲い込まれた土地の存在とは無縁ではなかろう。しかし新世界もまた限られた空間ある以上、このシステムが永久につづく保証はない。

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民族主義の秘密

イギリスに来てからソロモンのクーデターの事がずっと気になっていた。

インターネットや電話などを使って、こちらでもいろいろ話を知ることができた。元海外青年協力隊員の山本さんからは、日本で放映された(イギリスでも放映されたはずなのだが)一連の紛争に関するオーストラリアのドキュメント番組を送っていただいた。

事実の誤認があるかもしれないが、はじめに、ぼくが知り得た話から今回のクーデターの概要を書く。

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偶然だが、1998年12月、ちょうどぼくが調査でソロモンにいたときに、最初の事件は起きた。首都ホニアラで行われていたマライタ島民とガダルカナル島民のサッカーの試合で、結果に不満を持った観客たちが街へ来て暴れはじめた。今にして思えばこれは表面的な現象で、実際にはそれ以前から、ずっとマライタ島民とガダルカナル島民の間では目に見えない確執があった。

そしてこれをきっかけに局地的なトラブルが続き、1999年の6月にはガダルカナル島勢力(元Guadalcanal Revolution Army・現Isatabu FreedomMovement)がガダルカナル島に住むマライタ島民を追い出しにかかる。

次にぼくが訪問した2000年の1月には、首都ホニアラ以外のガダルカナル島に住む住人は、ほとんどマライタ島に逃げていた。その結果、特にマライタ島北部は難民にあふれ、ガダルカナル勢力に対抗するために、マライタ側の戦闘組織(Malaita Eagle Force)が活動をはじめていた。また政府の警察はマライタ人が支配し、警察対ガダルカナル勢力という様相も見られた。この時点で、ホニアラの郊外では戦闘が続き、毎日のように村が焼かれ銃撃戦があったという情報が流れていた。

声が大きいことで有名だったソロモンの首相ウルファアルは、マライタ島出身者だが、一連の事態に対して比較的慎重であった。事態の対応でも必ずしもマライタ側の立場をとらず中立をたもっていた(ぼくの知り合いのマライタ人はそういう彼を評価していたが)。

しかし、マライタ側の勢力(MEF)にとってはそれが歯がゆかったようだ。セントラルマーケットでガダルカナル側のメンバーの首無し死体が発見され、その数日後のチャイナタウンでの銀行員刺傷事件などが発生し、マライタ勢力の不穏な動きが高まった。そして6月5日未明にマライタ勢力(MEF)によってクーデターが発生し、マライタ出身の首相を拉致監禁された。

その後、開かれた特別国会では、首相の解放と引き換えに新首相を選出する声明が出された。6月30日、国会は僅差で与党のボサト前内相を退けた野党のソガバレ氏を選出した。しかしクーデターの首謀者であるマライタ勢力(MEF)も混乱しており、勃発時のリーダーは数日後にはその権力を失い、組織は内部分裂をしているようである。

昨日、ホニアラの友人宅に電話をしたところ、市内は比較的平静で、いまはマライタともガダルカナルとも無関係の立場である新しい首相の手腕を見ているところだという。また未確認だが、この混乱に乗じてパプアニューギニアの「ブーゲンビル革命軍」が不穏な動きをしているようだとも聞いた。

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長くなってしまったが、以上が大まかな概要である。革命軍などという言葉がでてくるので誤解を与えるかもしれないが、一連の紛争は共産主義運動とは関係なく、むしろ拡大した部族抗争と考えるほうがわかりやすい。その証拠にガダルカナル島勢力(IFM)はおよそ時代錯誤的な伝統的武器と呪術をもってマライタ勢力に対峙している。これは、勤勉で人口も多く経済や政治の権力をにぎるマライタ島民と、首都ガダルカナル島に住みながらマライタ系移民によって圧迫されつつあるガダルカナル島民の、いわば民族の紛争である。

そして、この事件の根本にあるのは土地制度をめぐる社会的な変化である。

これは、ぼく自身マライタ島で調査している問題なのだが、かれらの土地所有の意識はわれわれとは非常に異なるようだ。村内の土地はチーフに権利があり、それ以外はだれのものかはっきりと確定していない土地が残る。また土地の権利は、伝統的な解釈では、昔話によって公にされているその土地の最初の移住者の家系が持つ。しかし、現実に土地を所有するといっても、売買・利用・居住・通過などのすべての権利を持つわけではない。ほとんどの権利は(所有者ではなく)利用者にあり、一言で所有といっても日本のように登記がしっかりしているわけではないし、だれかが使用料をはらうわけでもない。

また、おそらく歴史的に見ても、この地域での島間の移民はしばしばおきており、そうした意味から、ここ数十年マライタ島民がガダルカナルに移住してきた現象だけが特別なものだとはいえない。昔からずっと彼らはそうやって離合集散を繰り返してきたのだ。

たしかに現実問題として、ここ数十年ガダルカナル島の土地に一方的にマライタ島民が移住しているのも確かである。しかし、そもそも土地を巡る法が整備されていない以上、かれらの不法性は問えない。しかも、実際には近代的売買や伝統的交換によって、公式に土地の獲得がなされている場合も多い。

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ソロモン政府は、ここ十数年、国内の土地を登記していく政策を進めてきた。海外からの資本導入を円滑にすることや税制改革がこの背景にはある。そこでは近代的な土地所有という概念が導入され、それまで誰の物でもなかった土地に対して強力な権利関係が生じるようになった。そうなるとガダルカナルの土地の一部は、正式にマライタ島民のものになってしまう。これまで曖昧にしていた矛盾が表面化する。じっさい、首都のホニアラはマライタ島出身者が大半を占め、すでにマライタの飛び地のような存在になっている。

今回の紛争の発端は、土地を巡るこうした諸事情が、ガダルカナル島民の民族意識に火をつけたというところだろう。さらに正確にいうと、マライタ島もガダルカナル島も、その中で多くの言語集団に別れており、もともと「島民」というアイデンティティなどなかったのである。また、アレアレ語のように、ヨーロッパ人がくる前からガダルカナル島とマライタ島に共通する言語をもつ集団もあった。

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ソロモンの平和を愛する人々の間で、この新しいナショナリズムの勃興を憂う声も多い。しかし一方でこうした民族主義は弱者(このばあいガダルカナル島民)の必死の抵抗ともいえる。今回の出来事は50年前にマライタ島民がイギリス植民地支配に抵抗したマーチンムーブメントと重なる。一度、誕生してしまった民族主義は、イデオロギー化し周りを巻き込みながら拡大する。事態はそう簡単には収拾がつかないだろう。

前回は差別の問題として取り上げたが、ナショナリズムとはまさに排除と連帯の両面を内包する思想であり、いわば「異化」「同化」の権化ともいえる。ただ人類学者の悩みとして、マイノリティの自立をかけた「ナショナリズム」と、国家主義や全体主義のもつ「ナショナリズム」をどう切り分けるか、というやっかいな課題がある。

最先端の秘密

理系とか文系とかいう区別は、あまり意味がないと思うし、むしろそういう分け方は弊害が多いので使いたくないのだが、今日は話の流れで便宜上使わせてもらう。

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日本の社会や学問を世界の水準から見た場合に、科学や工業技術などのいわゆる「理系」的分野は決してひけをとってはいないと思う。

しかし一方で非常にみおとりを感じるのが、思想や社会制度などのいわゆる「文系」的分野である。これはいったいどういうことなのだろうか。それは単なる言葉のハンディでかたつけられる問題ではないように思う。

理系文系にかぎらず学問には、未知を明らかにし、新しい知識を手に入れるという目的がある。だから学問とは常に過去や現在を批判し、未来を指向していく運動といえる。

「理系」的分野では、日本でもごく当たり前にこの原理が働いている。科学技術は常に世界レベルでの競争にさらされ、研究者たちはつねに最先端を目指している。

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しかし「文系」的分野では、日本の学問は蛸壺化し、長らく「翻訳の役割」しか担ってこなかったのではないか?「理系」的分野で新しい理論が生まれるほどに、「文系」的分野で日本は世界の先端を行く新しい理論に関与してきたのだろうか?そんな疑問を感じている。

イギリスにおいては、社会制度や思想もまた科学と同じように「発見・発明」 されるものであるという考え方が強いように思う。民主主義も資本主義経済も、 彼らにとっては「発明」である。つまり人間が考え出したものである。

人間が考え出したものである以上、それはつねに検証され修正され、よりよいものに改良される。だからこそ、たとえばビックバンという経済学上の巨大な実験を、この国の人々はいち早く実行に移すことができた。

「文系」の学問が、翻訳の役割しか担っていない国では、新しいシステムはつねにどこか外から与えられたものであり、多くの場合「なぜそれをしなければならないのかもわからないまま」受け入れていくしかない。常に海外の様子をうかがい、ほかの人より早くトレンドを翻訳したものが、すぐれた研究者とされる。(誤解をさけるため確認しておくが翻訳やまねがすべて悪いといっているわけではない。実際、学問の99パーセントはまねで、独創はのこり1パーセントかもしれない。要するにここで大事なのは研究者の志やスタンスだ。)

「文系」の後退はなにも学問分野だけではない。環境保護にせよリサイクルにせよ福祉制度にせよ、日本の社会運動や地方自治体の取り組みは、それぞれの場所の必要に応じた最善のオリジナルシステムを生み出そうとしているだろうか?「とりあえず、よそがしているかからうちもまねしてみよう」で終始してはいないだろうか?。いわゆる「横並び」という現象である。その結果、行政を企画する公務員たちは、なんの独創性も持たないまま、愚にもつかない「視察」ばかりを繰り返すことになる。

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そんな「文系」後進国の典型的な弊害が、WWWワールドワイドウエッブ、いわゆるホームページを使ったインターネットの利用に現れている。

日本の技術者たちは、漢字制御というハンディキャップや、アメリカ資本のOS独占というきわめて困難な状況を乗り越えながら、日本のコンピューター技術の水準を世界最先端に維持してきた。コンピューターのソウトウエアやハードウエアの技術的環境から言えば、日本は世界でもっとも恵まれた国のひとつだと思う。便利なソフトウエアにあふれ、廉価で能力の高いコンピューターを使える。イギリスのコンピューターの価格は日本の1.5倍くらいの感じだし、ウインドウズ95も2000年の現時点でまだかなり普通に使われている。

しかし、ホームページの充実度に関しては日本はイギリスに大きく水をあけられている。こちらの人に聞くと特にこの1、2年の変化が大きかったというが、今やあらゆるサービスや公共の情報がウエッブ上に展開されているという感じだ。旅をするにも買い物をするにも、イベント情報を調べるにも、ホームページは非常に便利だ。ほんの小さな劇場のイベント情報まで網羅されている。街角の広告も電話番号とウエッブサイトが併記されているのがふつうだし、大手のスーパーなどが身近に無料のプロバイダーを提供している。

今回旅行をするにあたり、旅行代理店も何軒か回ってみたが、ウエッブ上の代理店や航空会社が提供する割引切符にはかなわなかった。たとえばイギリスをベースにするイージージェットという航空会社 は、航空券を廃止しインターネット上での予約を主体にして、代理店を通さずに客を集めている(この会社の飛行機デザインは機体にでかでかとURLや電話番号を書いてしまう斬新さである)。近い将来、旅行代理店やプレイガイドは不要になるかもしれない。

すでにイギリスでは、ホームページの性質も変化し、単なる掲示板ではなく、相互コミュニケション(経済活動も広義のコミュニケーションである)の場として使われているのを強く感じる。そして一方、日本では、コミュニケーションの手段として電子メールほどには、ホームページが活用されていないのが現実である。

こうした違いを引き起こした最大の原因はなんだろうか?「文系」とくに行政の怠慢、それがこのレポートの主旨である。このケースでとりわけ致命的なのは、高額の電話料金である。僕が10年前にアメリカに行ったとき、すでに市内電話は無料(定額制)になっていた。みんなちょっとした事でもすぐに電話をかけて済ませていた。イギリスでも電話料金は驚くほど安い。暗証番号を使った国際電話用のテレホンカードを使うと、日本までわずか800円(5ポンド)で1時間20分も話をすることができる。

電子メールを利用するだけなら、少々高い通信料でも我慢できるが、ネットサーフィンでは致命的である。不思議なことに日本では、電話線が公共のインフラであるという認識がほとんどない。

考えてみれば今の状況は、いわば自分の家の玄関を出たところに通行料金所があり、外出時間のあいだずっと通行税をとられつづけているようなものである。

高速道路や特別の道を利用するのにお金がかかるのならまだわかる(もっとも高速道路もイギリスでは無料である∵インフラだから)。ただ家から外に出るだけで、通行税がとられるのである。これでは玄関先まで郵便物(メール)を取りに行くことはできても、とても遠出をする気にはなれない。(日本の無線電話の高い普及率も、有線電話料金の異常な値段にその原因があると考えればわかりやすい。)

かくして日本のインターネットユーザーは、非常に優れたコンピューターシステムに囲まれながら、その恩恵に十分にあずかれないのである。さきほどこの問題は行政の問題だと書いた。いうまでもなくNTTの巨大な利権に寄生するいわゆる族議員がその元凶であろう。しかしそれ以上に、人々の「社会システムとは、人間がつくり人間が便利になるようにかえていくものだ」という意識の欠落が、根本的な問題であるともいえる。

最新型のテクノロジーについてああだこうだと批評をし、日本の科学技術が立ち後れる事には非常な危機感を持っているコンピューターマニアのような人々が、日本の社会制度や政治意識が立ち後れに関心が薄く平気でいられるのは、なんとも不思議な現象である。結局、日本のシステムをかえるには外圧を利用するしかないのだろうか?かくして志ある「文系研究者」はますますただの「翻訳者」になり下がる。

(まあしかし外圧だろうがなんだろうが、通信環境がかわれば日本のインターネット利用のあり方は劇的に変わるだろう。24時間つなぎっぱなしというのがインターネットが本来想定した使われ方で、そうすればウエッブは新しいテレビになるだろう。今の状況を見ると、それは、さほど遠い未来ではないと思う。これを書いた今はちょうど2000年です。)

国家の秘密

なんだろうな、このわくわくした感じは。国境を列車で越えるというただそれだけの事が、どうしてこれほど特別な気持ちにさせるのだろうか。全長約400メートルというから、おそろしく長い列車だ。列車というのは飛行機やバスと違って、いくらでも長くできるのが利点だ。むろん駅のことを考えてやらなければならないが、とにかくただ走るだけなら長さは関係ない。この列車の開発技術者は言ったに違いない「必要ならもっと長くできますよ、ドーバー海峡のはしからはしまで届くぐらいに」。

ロンドンのウオータールー国際駅を出発したユーロスターは、移りゆく風景を楽しもうというぼくの期待を裏切って、相も変わらずつづく単調な平原の中を南下する。やがて地の果てとおぼしきあたりに来ると、これまた、なんということもなくトンネルに入り、その20分後にはあっさりと同じような平原を走りはじめた。違うのは車内で流れるアナウンが、英語・フランス語・オランダ語の順からオランダ語・フランス語・英語に変わった事だけである。

これが大陸か。列車はブリュッセル南駅に到着する。ヨーロッパ圏内の旅行客はまるで改札で駅員に定期券を見せるような感じで、パスポートを自分の手に持ったまま入国管理官の横をどんどん通り過ぎていく。日本人のぼくにしたところで、たいした手続きもなく、駅の外に放り出される。

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テーネンの教会

ろくな案内もない。お金をおろす機械もない。なんだ不親切だなイギリスと全然違うじゃないか。そんな感想を抱きながら、とにかく街の中心部に向かおうと思う。旅人の哀しい習性だ。でも最初だけはしかたがない。歩き始める。小さなリュックの中に荷物はほとんどない。

なんだか薄汚れた街。信号を待っていると「日本人か」と声をかけられる。「ノー」と答えてにこりと笑う。中東系の顔をした相手は少しも笑わない。日本人と答えたらどうなったのだろう。ロータリーをまわった車が予想していたのと反対方向からおそってくる。慣れるまでは危ないな。手に持ったいい加減な地図を頼りに、中心部とおぼしき場所を目指す。ブリュッセルの中心がロンドンのように曲がりくねってなくてよかった、意外とあっけなくぼくはそこについた。

狭い路地を抜けると、グランプラスの建物たちが唐突に立ちはだかった。あれあれ、ちょっとすごいじゃない。不覚にもぼくは圧倒された。いやあ、すごいすごい。この大胆かつ偏執狂的な大装飾に比べればロンドンのピカデリーサーカスもかわいいもんだな。これがヨーロッパの実力か。思わず小さな声で謝った。すんません、ベルギーをなめておりました。へい実のところ、デンマークしか知らなかったもので。これでパリやローマやフィレンツェにいくとどうなるのだろう。いやあ、旦那。あっしにはもうこのくらいで十分でさぁ。おそれいりやした。へへーぃ。

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これがベルギーの実力である

ベルギーなんて小さな国だし何度となく戦火に見舞われたと聞いていたから、素朴な田舎のイメージしかなかった。この国の面積は約30000平方キロメートルで人口は約1000万人。日本の九州が、約40000平方キロメートルで人口は約1300万人だから、ベルギーは九州よりひとまわり小さいくらいの見当になる。しかもドイツ・フランス・オランダという列強と国境線を共にしている。

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宿の窓から見えたセントカトリーヌ教会

こんな条件のわるい場所が、一人前の国をやっていけるのなら、世界中どこだって独立できるぞ。ベルギー人にはよっぽど強固な民族意識があるのだろうか?いやいや、それも違うようだ。驚いたことに、ベルギーはフラマンとワロンというふたつの地方にわかれ、それぞれ言葉も違うという。北半分のフラマン地域はオランダ語、南のワロン地域はフランス語。東にはドイツ語を話す地域もあり、ベルギー語は・・・そんなものはどこにもない。どうりでオックスフォードの本屋で旅行者用のベルギー語辞典をさがしても見つけられなかったわけだ。

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町で見かけた幼稚園ですらこの立派さ

なんで、そんな人たちがここで一緒に国をやっているのだろう?このところ民族という概念をどう整理するかという事に、もっぱら頭を悩ませているぼくは、ベルギーで国家という概念をあらためてつきつけられ、また混乱をはじめた。ベルギーはぼくの知っているどの国とも違っていた。

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テーネンの時計塔

そもそも国ってなんだろう?日本語では同じ言葉を使っているのに、英語では、country・nation・state とまったく違う言葉を使い分けている。王国kingdom・帝国 empire 、これも日本語では国という言葉が含まれているが英語では違う語彙をつかう。そのくせ nation は、国であり同時に民族も意味する。nationalism を国家主義と訳すか民族主義と訳すか、はたまた国粋主義と訳すかでは伝わる意味が違う。表意文字の世界で、四角のなかに王がいるのが国ならば、四角の中に人がいる民主国家を漢字にすると囚になる。そんな冗談はさておき、国とは、いったい誰のための、何のための装置なのだろう。

ベルギーはいったいどういう経緯をへて今の国家になったのか、西洋史をきちんと学んでいなかったことを後悔する。これはいいわけだが、ぼくの高校では日本史と世界史を同時に選択する事はできなかったのだ。でもとりあえずそれを知らなければ先へは進めない。付け焼き刃の勉強ではあるが、しないよりはましだ。

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レーベンの実力

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レーベンで見た自転車レース

前7世紀アキテーヌやベルガエと呼ばれるケルト部族が定住する

前1世紀ユリウス・カエサル率いるローマ軍によって征服される。

5世紀ローマ帝国南部へと後退。ゲルマンフランク人が侵入しフランク王国へ。ゲルマン語を話す北部とラテン語を話す南部へと二分。

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レーベンで見た自転車レース

9世紀フランク王国はカール一世の時代に再興された西ローマ帝国へ。やがて西ローマ帝国が衰退し ヴェルダン条約、メルセン条約により西フランク、中フランクに分割。ノルマン人の侵略からの自衛のために、司教や地主たちを指導者に封建国家が誕生。城塞都市が発達し、商人や職人が力をつけ、やがて自治都市へ。

10世紀ベルギーの南東部がドイツ王のもとタリンギア公国の一部に。ロレーヌ公シャルルがセンヌ川の中島に城壁を築きブリュッセルを建設。

12世紀十字軍の影響で遠隔地貿易が盛んになり、毛織物工業が栄える。ギルド制度が発達し巨大な富がもたらされる。

13世紀輸送は陸路から海上輸送へと代わる。ハンザ同盟都市として、ブルージュは北ヨーロッパの国際商業の中心地へ。

14世紀黄金の拍車の戦いにてフランス軍に対し勝利。フランス・イギリス百年戦争。フランスのブルゴーニュ公家がフランドル伯家との婚姻によりベルギーに入り封建領主を統一。都市の自治からブリュッセル中央集権へ。

15世紀フィリップ三世善良公はジーランドからルクセンブルグに至る11州の形に再統一し、ブルゴーニュ公国繁栄。フィリップの息子シャルル勇胆公の死とともにブルゴーニュ家の終焉。

16世紀 シャルルの娘がハプスブルグ家のマクシミリアン1世(神聖ローマ皇帝)と結婚 し、ネーデルランド大部分はオーストリア領へ。続くフィリップがスペイン王に。 続くカール5世がネーデルランド全17州を手中に。アウグスブルグ条約、基本 法勅令により、フランシュ・コンテとともに神聖ローマ帝国の中で独立主権と国 家の地位をえる。続くスペイン王フェリペ2世が、プロテスタントと対立し北部 で新教徒を弾圧。オラニエ公ウィレム一世とエグモント伯、貴族同盟を発足、ス ペインへ抵抗。北部においてウィレム一世が絶対的な支配力を確立。スペインと 和解。オーストリア大公アルブレヒトがスペイン領ネーデルランドの統治者に。

17世紀スペインは、ミュンスターの講和により、北部同盟(オランダ連邦共和国)の独立を承認、一方、南部のカトリック地域はスペインへの忠誠を守り、スペイン領ネーデルランド(現在のベルギー)へ。フランス、ルイ14世とオランダの統治者ウィリアム3世の抗争により、ブリュッセルは破壊。 スペイン継承戦争をめぐりルイ14世はスペイン領ネーデルランドの支配権を画策するが断念。ユトレヒト条約によってオーストリア統治者ハプスブルグに。

18世紀フランス革命に乗じて、ベルギー合州国として独立を宣言したが、あえなくオーストリアに制圧される。オーストリアはフランス共和国との戦争、戦勝国フランスはベルギーを「解放」。しかし、フランスは教会を略奪しベルギーのレジスタンス運動を弾圧。

19世紀ワーテルローでナポレオンが敗退しウィーン会議で、連合国側はベルギーをオランダ王国のオラニエ公ウィレム1世への帰属を決定。ブリュッセルで革命が起こり、ウィレムは数ヶ月で撤退。1831年ベルギーは独立国家へ。 初代国王にドイツのザクセン・コーブルグ家のレオポルド1世を選ぶ。

20世紀アフリカのコンゴを領有し経済的に発展。アルベール1世が国王に。第1次世界大戦では激しいレジスタンス運動にもかかわらず、ドイツ占領下に。第二次世界大戦では、国王レオポルド三世が議会の反対を押し切ってドイツ軍に降伏。ドイツに併合・占領される。連合勢力がベルギーを解放。レオポルド三世は国民の反感を招きほどなく退位。ヨーロッパ共同体(現ヨーロッパ連合)と北大西洋条約機構の本部の設置。オランダ、ルクセンブルクと共にベネルックス連合。国内の自治権の拡大。3つの行政府に分割され、国家形態は連邦制へ。

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イルカのデザインの紋章

ベルギーの歴史を知るためにいろいろな文献にあたった。最終的にベルギー観光局の資料を参照し、ベルギー史のうち周辺諸国との関係についての概略のみを削りに削って書いてみたが、それでもかなり複雑だ。この国のことを知るためには西ヨーロッパ史のほぼ全体を把握しないといけない。だから、ちょっと勉強してみた。こまかい年号や人名はまだちゃんと記憶していないが、事実関係と経緯に関しては、まあ受験生程度には理解したと思う。(しかしまあ、その程度の認識でこれから国家論を展開しようと言うのだから、かなり無謀な話ではある。)

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移動遊園地

ローマ帝国(ラテン)にはじまってフランク王国(ゲルマン)の人々がこの地に定住し、タリンギア公国(ドイツ)の支配、都市国家から封建領主ブルゴーニュ公家(フランス)、ハプスブルグ家(オーストリア・スペイン)の時代のオランダとの分裂。そしてふたたびオーストリア、フランス、オランダの支配、そして独立、しかし独立後のドイツの侵略・連合軍による解放・・・。支配関係の変化が激しい西ヨーロッパ史の中でも、国家にというものにこれほど翻弄されつづけた場所が、ほかにあるだろうか。

こんな、むちゃくちゃな場所が、どうして国としてのアイデンティティを維持できるのだろうか。民族、封建領地、王国、帝国そして現在のわれわれが生きる国民国家、国家連合まで、「国」とは何かを考える上で、ベルギーの歴史は、格好の材料を与えてくれるように思う。

国家を構成する基本要素として主権・領土・国民なんてのを学校で習うけど、さまざまな時代でそれぞれ「国」と呼ばれているものを、すべてこの枠に当てはめて同じようなものだと理解するのは、とんでもない間違いかもしれない。むしろ、同じ「国」という名前を使っているけれども、その実体は全然違ったものだと考えた方がいいみたいだ。

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移動遊園地

部族や民族なんて言葉も同じ事で、人類学をやっていると○○族とか△△民族って、みんな当たり前のように使ってるけど、われわれがふつうにイメージする民族、たとえば「漢民族」とか「ゲルマン民族」や「ヌアー族」とか「ギリヤーク族」とかを考えてみても、なにを持ってそういう境界線が作られているかを検討すると非常にあやしくなる。すでに書いたように、民族だといえば縄文時代の人も縄文民族かもしれないし、サラリーマンも生業によって分類されるひとつの部族集団かもしれない。

そして人類学者の仕事として昔から「民族誌の編纂」なんてのがあるけど、これも乱暴な話で、人類学者が出会っているのは、ある村のどんなに多くてもせいぜい数百人の人々で、ほんとのこというと、毎日話をしてつきあってる人はそのうちの数人だ。むろん、それでも十分文化の違いを感じることはできるし、そのなかには一般化できるようなおもしろい発見もある。だけどこういう記述は別に民族誌なんて呼ばなくてもいい。

だから、慎重な人類学者は、「▽▽島民」や「○○語を話す人々」というふうに外から確認できる属性で、その場限りの分類をする。国や民族や部族という言葉を使った瞬間に、ちょっと違和感があるのだ。ある種の「わな」にはまってしまったことを感じてしまうのだ。じゃあ、その「わな」ってなんだろう?

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観覧車から見たレーベン

ベルギーの話に戻ろう。最初にでてくるローマ帝国(ラテン)とかフランク王国(ゲルマン)とか呼ばれる国はなにを指すのだろうか?よく読んでみると、現在に至るまでベルギーの地でオランダ語とフランス語の両方が使われているのは、この時に端を発するとある。するとここでいう国とは、ある言葉を話す人々を指し、特定の言語集団がこの土地にやってきたと考えるのが自然だ。

だから「国になった」「国が来た」というよりは、「人々が来た」と考えた方がいいのだろう。そして、現代にいたるまでこの地をさまざまな「国」が支配するが、二つの言葉の違いがいまだに解消されていない。ということは、これ以降の「国」というのは、大規模な人々の移動とは直接は関係ないだと考えられる。(前に書いた弥生人のことを思い出してほしい)

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移動遊園地

国を構成する要素として領土があると書いた。そもそもある土地が誰かのものだという了解がなければ、この仮定はなりたたない。しかも、その了解は、ただ自分でそう思っているだけではだめで、他のだれかに保証されなければならない。

土地の所有なんて、もともとそんなにはっきりしたものでなく、かつては誰のものでもないような土地がその辺にたくさんあっただろう。そこに遠くの土地からよそ者がやってくる。そして住み着く。むろん両者の平和な共存もありうるが、じゃまだからやっつけてしまえとか、逆にうっとうしいから別の所に行こうという事もあったろう。

しかし、だんだん人も増えきて、さらに農耕や牧畜の定住化がすすむと、新しい土地をさがして、そうやって行ったり来たりするのが難しくなる。

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夜の移動遊園地

ベルギーではキリスト教がはいった後に、ノルマン人の侵略からの自衛のために、司教や地主を中心に封建領主が登場する。封建というのは「封土を分け諸侯を建てる」の意味、英語では feudal。いづれも土地を領有することに関係の深い言葉で、もともと「古くさい」とか「保守的」という意味はないみちだ
(ちなみに和英辞典によると、封建的な教師は an undemocratic teacher 非民主的教師で、封建的な父親は an autocratic father 独裁的父親なのだそうな、ストレートでわかりやすい)。

(ここで、いったん挫折。「こくら日記」のナショナリズム論へつづく)

「参考ページ」
ベルギー観光局(日本)
ベルギー観光局(アメリカ)
伊藤玄 欧州雑感「ベルギーへの誘い」
上西秀明 かっぱ旅行社
ちひろ 系図の迷路

ビールの秘密

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Hoegaarden Grand Cru

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フーガルデンの酒造所に併設されたレストラン

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グランクリューの原材料

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銅製の醸造機

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タンク

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丁稚の像

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オルヴァル

イギリスの秘密

日はますます短くなる。風の冷たさを感じるたびに気は重くなるばかり。このままアフリカにでもトンヅラしてしまおうか。もっとも、そんな元気も今はない。秋は次に冬が来るから一番嫌いだ。

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2年にわたるイギリス滞在中にはいろいろなことを考えた。とても意義のある時間だったと思う。「ブリテン島萬報」では、その断片だけでも書き残しておこうと考えていたのだが、途中から文章が書けなくなった。しかも一番大問題である国家論のあたりから。アイデアはある、頭の中で渦巻いている。でも、ぼくのシナプスが少なすぎて、おいそれと纏まらない。

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国民国家(nation satates)の危うさと恐ろしさを考える。イギリスに来てより明確になってきたのは、近代をささえる個人主義やヒューマニズムや人権思想の「虚構性」だ。いえいえ、虚構だから悪いというのではない。虚構でも夢を見させてくれればよいのかも知れない。でも虚構だからこそ、より強固で近寄りがたい、それがなによりもやっかいごと。まるで自分で自分の影を踏めないように。この虚構こそまさに人を支配する現実なのだ。

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民族解放をめざす民族主義者がなぜまた国を作ろうとするのか。イデオロギーに対抗するには別のイデオロギーを持ち出すしかないのか。国民主権というあめ玉と引き替えに国家を支える民となった人々は、その代償になにを払っているのか。簡単いえば「我が国」という言葉がもつ新しい権力は、なにを目指すのか。他者への侵略?自己の防衛?国民国家が世界を強引に巻き込んでいく力はどこから生まれているのか。そして、人間を規格化し多様性を押しつぶそうとする近代に「なぜだれも逆らえない」のか。それどころか「近代こそ自由で多様だ」なんていうでたらめになぜ人々が納得するのか。

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教育がささえる近代人の再生産。犬や馬のように調教される子供たち。読み書きそろばんのリテラシーは万人の悲願だという伝説を鵜呑みにしていいのだろうか。教育を受けるのは人間の権利?文盲率が低いことは文明の証?理性的なものは現実的?道徳律は近代を乗り越えられる?そして一生懸命調教され、ようやく手に入れたものは、たまの日曜日に公園に放される飼い犬のような自由。

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大人からわけられる子供。健常者からわけられる障害者。男からわけられる女。白人からわけられる黒人。中産階級からわけられる労働者。近代以降のこうした新しい発見は本当に喜ぶべき進歩なのか?訳知り顔に隠されたメタファーを暴き出す構造主義者たち(うーん、なんてかっこいいんだ)。大人も子供も男も女も日本もオセアニアもこうしてすべて「発見」され、近代の枠組みに組み込まれていくのだろうか。

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少数者や異端者の排除は近代になって初めてイデオロギー化した。ファシズムは民主主義の双子の兄弟あるいは同一人物。そして、実際のところをいえば、ヒューマニズムによる他者への権力行使は、排除ではなく融和であるところがもっとも恐ろしい。寛大で慈悲深い融和。コモンウエルズという名に変質したコロニアリズム。イングランドの一番身近な他者、アイルランドとスコットランド。ねえ、どうしてマン島には独自の通貨があるの?統一王国がこの島の周辺でやろうとしている実験はどんな結果を生むのだろうか。

イギリスは病んでいる。日本も同じように病んでいる。近代は特効薬のない「はやり病」かもしれないね。

日はますます短くなる。長日植物のぼくはそろそろ静かな鬱に入ったほうがいいのかも知れない。今年は夏がなかった。イギリスには夏がない。夏がない国の人は忍耐づよい。

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