借金関係

[KOK 0011]

24 Sep 1996


このごろ、いい人にたくさんあう。どうしてだろう。話をするだけで心ひかれるような、いいやつが、わたしの前にあらわれる。とてもその人が好きになる。なんだろ、頭の中がどうかしてるのかな。

わたしなんか、平均的にみても、ほかの人より、いいやつをたくさん知っている人のはずだから(根拠はない)、もうこれで充分だなんて思っているのだけど、「ああ、こいつもいいやつかも」っていうかんじで、いいやつは突然あらわれる。

いい人がいくら増えたからといって、わたしはひとりしかいないのだから、畢竟、時間がどんどん少なくなる。さらに、いい人の友人も、たいていいい人だから、たちが悪い。そう、いい人というのは借金みたいなもんで、人間は生きていくあいだにゆきだるま式に負債をおっていくわけだ。

沖縄・台湾・マレーシア・ソロモン、それだけでも幸せなのに、さらにその上クック諸島なんていうあたらしいフィールドに入って、また、忘れられない土地が増えてしまった。知らなければ知らないですんでいったはずなのに、知ってしまった以上、もうだめだ(節操ないなぁ)。

そして、わたしの場合、いったん好きになった人は、たいていの場合わすれられないし、ましてやきらいになることはめったにないから、こんご借金がへるあては、まったくない。

そんなことを、たくさん、かんがえた、3日間であった。

9月21日・・・。わたしにとって初めてのゼミ生だった阪本君が死んだ。

その日はとても天気が良く、彼は、バイクでツーリングにでかけたまま、帰ってこなかった。

出会ってから、半年しかならないし、しかも学生と教師という、まあ、ともだちというには、なんだかむつかしい関係ではあったけど、彼のことはけっこう好きだったのだ。

彼が横たわる病院のソファーで、ぼうぜんとしながら、彼が残した負債についてあれこれ考えていた。そして、いままでわたしの前からいなくなったいいやつのことを、つぎつぎに思い出していた。いくらなんだって、こんな清算のしかたはない、こんなのただの借金の踏み倒しだ。

どうせ返すことのできない借金だとおもうけど、けっきょく最後は踏み倒すしかない、というのではとてもやりきれない。彼の葬儀にはたくさんの友人たちがあつまっていた、みな、かれの債権者である。わたしは自分の負債のことしか考えられなかったが、たぶん、ものすごい額の負債を、踏み倒された人もいたのだと思う。

9月23日・・・。大学を卒業していらい、6年ぶりの友人に会った。

わたしは彼のことをじっちゃんと呼んでいた。じっちゃんは4年間の大学生活の中で、もっとも尊敬していた人である。めったなことでは人を尊敬しないわたしが、ここまでいうのであるから、じっちゃんは、もう、よほどすごい人である。

いま、じっちゃんは福岡県の田川市で高校教師をしている。4月に北九州に移って、すぐにでも会いたかったのだが、なかなか都合がつかなかった。

じっちゃんに会うにあたって、おなじあそび仲間のケンケンを京都からよんだ。ケンケンは4年間の大学生活の中で、もっともわがままをいわせてもらった人である。とってもわがままなわたしが、ここまでいうのであるから、ケンケンは、もう、よほどできた人である。

いまでも、なにかあるたびにわたしはケンケンに甘えている。今回も、ほんの一時間でいいからきてくれと、いそがしい中、むりやり「のぞみ」にのせてしまったのだ。

とても楽しかった。いい人は、何年たってもやっぱりいい人だった。ちょっとだけ、利子を返せたんじゃないかな、なんて思った。

利子がかさんでいる人ごめんなさい。理不尽な踏み倒しだけはしないつもりです。せめて、この「こくら日記」でも返済のあてにお使いください。だめですかね、こういうのは。

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Takekawa Daisuke