15 Oct 1996
■「三条すすむ(男前)」・・・かっこいい。「あいきょうか(17歳)」美しーい。大衆演劇・娯楽の殿堂・小倉花月。なかなかにあなどりがたいものでござんした。お芝居のあらすじを、ざっとみてまいりやしょう。
■大泥棒「きねずみの吉五郎」が、峠の茶屋で、期せずして出会った、「おっかさん」。幼くして別れた、母への思いをそのままに、「おっかさん」は、今もやさしいお姿で、ありなさった。しかし、きねずみ、いまとなっては、世間を騒がす大泥棒。こんな、やくざもんの自分に、親子の名乗りなぞ、できるものか、と苦悩の別れ。
■しかも、きねずみの、父の異なる兄弟は、お上からの、大事な十手をあずかる、岡っ引き。かくなる上は、せめても、自分の弟に、手柄のひとつも、たてさせてやろうかと、みずから捕まる、大泥棒。
■すべてを知った弟は、みすみす兄貴を刑場に、やることはできねいと、親子の名乗りを勧めるが、きねずみの吉五郎、ガンとして、首をたてにふらない。手にお縄をまわした姿で、ふたたび出会った母親は、どこのどなたか知りませんが、わたくしには、あなた様が悪党なんぞには、とても見えませぬと、やさしいお言葉。
■きねずみは、せめても最後に、いっぱいの、水が飲をのませてほしいと、所望して、母のてずからいただく、その水の、うまかったこと、うまかったこと。たとえ刑場の露に消えるとも、月づきの供養は、お願いしますと、涙こらえてこうべをたれる、実の息子。
■ああ、そのとき母は、なにを感じたか、大泥棒にすがろうとするも、さあ、いきやしょうと、きびすをかえす大泥棒。なみだながらに、お役目と、両手のお縄をつかむ弟は、そのままあとにしたがうのみ。後をもふりかえらず、江戸の刑場に送られる、きねずみは、弟よ、おいらのぶんまで、きっと、親孝行をするのだぞと、舞台の袖に消えていく。
■観客席のお芝居ずきのおばちゃんたちには、涙なみだの幕引きで、いやはや、たいへんなものでした。みごとにはまった人生の美学に、これが、ただしい大衆演劇なのかと、わたしもちょっとくらくらとしておりました。
■これで1600円ならじゅうぶん買いです。とりあえず一回は、いってみるべきです。三条すすむは、おばちゃんたちのアイドルです。目の前でアイドルがうたったり踊ったりするのですから、こんな、おいしい話はありません。やみつきになるのもうなずけます。
■わたしは、あくまでも外国人のように異文化の人間として、観劇いたしておりましたが、それでもなにか、伝わるものがありました。学生に聞けば、九州ではまだこうした芸能は、わりと日常的に残っているとのこと、これからが楽しみです。
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