玄之介九州上陸

[KOK 0020]

05 Nov 1996


京都のみなさんには突然の訪問にもかかわらず、いつもながらやくざなわたくしめを歓迎していただき、たいへん感謝いたします。忌憚なく会話を楽しむ機会がめっきり減ってしまったこのごろ、 たいそう元気づけられました(ようするに、まあ、あんたら、ほんま、あいかわらずやな〜、ということですわいな)。

玄之介

玄之介が九州地方に上陸しました。おりしも北九州大学では学園祭のまっ最中。わたしも学祭実行委員会から頼まれていたお仕事「市民大学講座」をこなさなくてはいけません。観客はサクラとモミジがちらほらといった状態で、市民大学講座といいましても、まあ、祭りの余興みたいなものですから、ビールなんぞをぐびぐび飲みながら、例によって、よたよたな話をしてしまいました。なお演題は「祭りとしての狩猟」でした。

そして、講演をおえいったんおうちに帰り、葵にご飯を食べさせ、お風呂に入れ、寝かしつけたあと、わたしは「ブツ」をもってふたたび祭りたけなわの大学へと戻っていったのです。

今回の「ブツ」は、名古屋で「たらちねの花火師ゆうちゃん」からうけとった2寸玉です。(ゆうちゃんいそがしいところ、本当にありがとう。お礼にさしあげた茶色い粉のブツは、ガーゼかなにかに包んで、水で絞り出して飲んでくだされ、コップに15はいくらいの量はあるはずです。これがほんとのブツブツ交換ですね。)

宴会たけなわの夜の大学構内に、轟音が鳴り響きました。闇夜に浮かぶ満開の華に、踊り遊ぶ若人たちも、しばし時をわすれ感じ入ったものです(もういちど、ありがとうをいわせてもらいます、ゆうちゃん)。

花火は、当局がとめにはいるまで(おっとわたしも当局側か・・)合計7発が打ち上げられ、わたくしは人々を充分幸せにしたのを確認すると、おとなしくお縄をちょうだいしたのでございます。しかしながら、まだ手元には、17発もの不発弾が残っておりまする。はてさて、これをいかがいたしましょうや。やはりいずれは、足立山の山頂ということになりましょうかな。

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Takekawa Daisuke