身体性を獲得したオタク

[KOK 0070]

23 Oct 1997


三井の寿を飲みにいった。蔵は筑後平野のど真ん中の太刀洗町にあり、このあたりのさわやかな秋の田園風景は、どこか大陸をおもわせるのんびりとした雰囲気に満ちている。

11月からの造りをひかえた蔵の中は、まだひっそりとしながらも嵐の前のしずけさのような、ちょっとした緊張を感じた。

冬に造られ、夏のあいだゆっくりと熟成された酒は、今が飲みごろである。

以前紹介した杜氏の山下氏と、今回はじっくりと話す事ができた。そしていろいろな事がわかった。最初に電話で話したときから感じていたのだが、わたしと山下氏は世代が近いだけではなく、どことなくものの考え方、指向性に共通点があった。

蔵の横の川沿いの土手を歩きながら、山下氏はぽろりといった。「ぼくも昔からコンピュータは好きなんですよ。TK80のころから。オタクでしたから」

かつて伊武雅人が「子供が嫌いだ」と歌ったように、わたしはエヴァだの盧遮那仏だのIEEE1396だのいうオタクは大嫌いだ。しかし、今でこそ「オタク殺し(otaku killer)」として知られている(ほんまかいな)こんなわたしであるが、成長の過程でオタク文化の影響は十分に受けているし、客観的にみたらけっこうオタクなことに首をつっこんでいると思う。

もちろん山下氏もそとみオタク的雰囲気はほとんどない。だが、コンピュータが好きで、チベットやモンゴルが好きで、ドラッグやカウンターカルチャーに造詣が深い彼には、どこかオタクの匂いがする。

なんだろう。ここが重要なところだと思うが、彼がいわゆるオタクと決定的に違う点がひとつある。それは、彼の仕事が極めて身体性の高いものだということである。酒造りは基本的に肉体労働であり、なおかつ繊細な五感を必要とする官能的な仕事である。

身体性を獲得したオタク。わたしの頭にこんな言葉がうかんだ。一般的にオタクとは非常に身体性の希薄な世界で生きる人々である、そうしたオタクがなにかの拍子に濃厚な身体的世界に入ってしまったとき、もしかしたらものすごくクリエーティヴな仕事をしてしまうのではないか。

自分の例をここで出すのはおこがましいが、かつて大脳生理学に興味をもち、その方面の大学院までいこうと考えていた男が、人類学という学問にはまり、南の島でイルカをとるうちに、身体的世界から逃れられなくなってしまったのとどこか似ている。

32歳の杜氏を先頭に20代の若者がつくる酒。酒造業界では完全に非常識な「三井の寿」が、ものすごくうまいのはどうやらそのへんに秘密があるようだ。九州では不適当といわれていた山廃造りを試み、一年目にして、さわやかで飲み口のよい生モトらしからぬ不思議な酒を生み出してしまった彼ら。基本の理論的背景に忠実でありながら、新しい酒造りのアイデアを次々と試みる彼ら。

「三井の寿」の上級のものの多くは東京に出荷されてしまって、地元では手に入りにくいようだ。しかしこの秋、機会をみつけて、そんな彼らの酒を飲んでみてほしい。あたらしい酒造りの胎動、あるいはあたらしいオタクの胎動がそこには感じられるかもしれない。

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Takekawa Daisuke