いじめと同調性

[KOK 0076]

23 Dec 1997


ベネッセと名を変えた受験出版社の福武書店から、しつこく何度も送られてくるダイレクトメール。どこで名簿が漏れたのか、新住所や子供の年齢はおろかキョウダイ構成まで把握されている(先方は住所の情報源をけっして語ろうとはしない。出産は名古屋だったから産婦人科からもれることはない、あやしいのは小倉の保健所関係あるいは市役所?でもそんなことってあるのだろうか?)。

ともかく。毎月のように必ず上の子と下の子に1通ずつ送られてくるのは「子供チャレンジ」という商品の案内。月がわりの学習教材とビデオと簡単なおもちゃのセットだ。なんでもこれを続けると、こどもがどんどんお行儀よくなり知的になっていくのだという。子育てに不安をもつお母様方の強い味方という売り込みである。

ダイレクトメールのパンフレットには、いまどきの親たちの活字水準低下にあわせてか、ほのぼのとしたタッチのマンガが必ず載っている。そのマンガのパターンはこうだ。

子育てに悩んでいる若いお母さんがいる。子供のわがままに手を焼いて、いつもどなってばかりの自分がいやになっている。夫も育児に無関心。近所の奥さんと話をすると、同じ年齢のよその子はもう一人でトイレに行けたり絵本を見たりしている。「どうしてうちの子だけが?」すると一人の奥さんが「子供チャレンジをやってからめきめきと変わったわよ」という。

「うちもやってみようかしら」と半信半疑にはじめると、子供はしだいに自分でトイレに行くようになり言葉も覚え始めた。今では「しまじろう(マスコットキャラクター)」が大のお気に入り。それまで無関心だった夫も子供と遊ぶようになり「ママもこのごろ明るくなったね」だって。

まあ、通信販売の体験談にありがちなご都合主義である。ごくふつう子供なら、時期が来ればトイレに行くことぐらい覚えるだろうし、言葉も話し始める。単に通常の発達段階を踏んでるだけなのに、それをあたかも「しまじろう」のおかげであるかのようにすりかえている。さすがに「しまじろう」のおかげで立って歩けるようになりました、なんていうまぬけな話はまだないが、それに近いものはある。

ところが、これがなかなか笑えないのだ。「子供チャレンジ」は今やベネッセのドル箱である。「しまじろう」はテレビやビデオや人形、絵本などあらゆるメディアを使って子供社会に浸透してくる。教育効果はともかく「よそがやっているんだったらうちも」という、子育てに自信がない(子育てどころか生きること全般に自信がないのかもしれないけど)マニュアル世代のお母様方にたいする同調効果はてきめんだ。

さて、先週の土曜日、私のうちで、子供をもつ大学の同僚7家族と「こどもとおとなのための食事会」をした。0歳から5歳くらいのほとんど同世代の子供たちを中心に集まったが、それぞれの親の性格がどことなく反映されていてとてもおもしろかった。そして、そのときに当然のように先日の「ポケモンパニック」の話がでた。どこのうちも関心は高いらしい。

一人が私にきいた「竹川さんのおうちではポケモンは見ないのですか?」私は答えた「ああ、うちは子供はテレビ禁止ですから。テレビとお菓子は内規により原則禁止(ついでにいうと補則により大人も子供もデズニーランド関係禁止・マッドーナルヅ原則禁止)」。

すると「そんなことして性格がゆがみませんか?」とか「いまどきはひとりだけテレビみてないと、いじめられるみたいですよ」なんてことを冗談めかしていってくる。「まあそのときは弾力的に対応します」と私。このあと話題は小学校のいじめの話に移り、どうやって自分の子をいじめられないようにするかなんて話をしている。私もそれとなく耳を傾ける。

どこの親でも自分の子供が「いじめられっ子」になってほしくない(もちろん私もいやだ)。だから、そのために小学校の学区も考えないといけないし、ほかの子供とあわせられるようにしないといけない。そんな話をしている。ここで断っておくが中には大学の教育「学」関係者もいる。それでこの程度の認識なのだ。ややこしいところはできるだけ避けて、メダカの学校のような群社会からできるだけ逸脱しないように育てる、ふつうがなにより。絶望的な方針である。

子供社会の均質性が高まれば高まるほど、ちょっとしたことが差異化の原因になる。いじめの本質が異質なものへの排除だとすれば、いじめられないように同調性を高めようとする事そのものが、結果として陰湿ないじめ社会をエスカレートさせてしまう。一種のジレンマである。

もちろんくさっても大学教員。時には教育問題の講演をする事もあるだろう。面と向かって訊けば公の顔で「もちろんいろんな子供がいるということを認めあわなくてはいけないです。多様性は大事ですからね」なんていってみたりもするだろう。しかしいざ自分の子供となると「いろんな子供」の仲間入りをするのは望ましくないようだ、自分の子供は「ふつうの子供」であってほしいらしい。

にわかに信じがたいのであるが、ある報道によると小学生の間の「ポケモン」の視聴率は八割をこえているという。私は視覚映像が身体におよぼした今回の事件よりも、こちらの方に身震いする。国際化とか価値の多様化とかいわれながら、実際にはこの手の日本社会の均質的閉塞性は進行していることはあれ、けっしてよい方向にはむかっていないようである。かつて全国一斉カレー給食の日という冗談のような思いつきが実行され、その給食を食べて育った私としては、大変複雑な思いである。

くしくも今回の事件は、今の子供たちの過剰な同調性を露わにしたような気がする。口裂け女・トイレの花子さんのたぐいの、あたらたな都市伝説の誕生である。もしかしたら小学生の間では、あの番組が放映される前に「ポケモンから変な洗脳光線がでている」なんてうわさが、すでに流れていたのかもしれない。

これも食事会の時の冗談で「あれで、あのポケモンみて気絶した子がいじめられりするんですかねぇ」「いやいや、気絶しなかったこ子の方がいじめられるんですよ。『おまえはポケモンに対する思い入れが少ない』って」

P.S.日本の小学生500人を病院に送った番組映像のコピーを手に入れました。キノコセッション用に使えないかと思っています。そこで、もうすぐクリスマスということもあり今回の「こくら日記」は、特製プレゼントつきです。 下の画像をクリックしてください。これらのファイルは、ダウンロードしてローカルで見た方が効果があります。健康のためみすぎに注意してください。

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Takekawa Daisuke