海を歩く人
28 Jul 1999


海人とかいてウミンチュと呼ぶ。沖縄で漁師をさすこの言葉は、一種の夏のファッションとしてTシャツにもプリントされヤマトの人々にも定着しつつあるようだ。むろんこうしたTシャツの多くはおよそウミンチュとは似ても似つかぬ若い女性たちが身につけていたりするのだが、それを見た本物のウミンチュのオジサンが、また「かっこいいじゃない」とまねをしたりするものだから、話がややこしくなる。

一年ぶりの再会を祝して海人と酒を飲む。「今年はなにか変わったことはない?」さりげなく海の様子をたずねる。「そうねぇ、今年はモズクがいいみたいよ」。昨年まで一斗缶いっぱい18kgで3000円程度だった沖縄モズクが、今年はほぼ倍の6000円ちかい値をつけているという。

たしかにヤマトにいても沖縄モズクを見る機会が増えているような気がする。太くて粘りがありうまみも多い沖縄モズクが、北陸でとれる糸モズクにかわって市場を広げているのだろうか。

しかしよく聞いてみると「おいしいから売れる」そんな単純な理由ではないらしい。「大学の先生はすごいよね、なにか難しいこと調べて、テレビなんかで『沖縄モズクはO157にきく』っていったら、とたんに値段が倍だよ」。赤ワインのポリフェノールと同じように昨今の健康ブームがモズクの消費増大に火をつけたらしい。「ちょっと前はマグロの頭、あれの油を食べると、頭がよくなるってことで、今ではわざわざ『送れ』っていってくるよ、あんなものみな捨てていたのに」

マスメディアの情報に煽られやすい市場社会のきまぐれな消費活動は、末端の生産の現場をたやすくふりまわす。一次産業による生産物も、生活必需品というより単なる流行品に変わりつつある。

「大介もせっかく大学の先生になったんだから、なんか役に立つこといってくれないとねぇ。」「なに?」「たとえば、沖縄の泡盛は一気飲みすると健康にいいいとかよ」「そんなもん、いいはずないさぁ、小学生でもわかるのに」

海人は語る「だけどよ、この世界、人がやらんことをしないとだめだよ。人とおんなじことやっていても、魚はとれんし、もうからん。だれも知らないことに気づくから、一山あてたりもするわけさ。そんなふうに考えないとだめだよ」

いつものことながら、つくづく感心するのは、海に生きる人々の進取の気質だ。海という環境の不確定さは、きまぐれな消費社会の上をいく。モズクが売れればモズクに走り、イカがとれなくなれば別の魚をさがす。すぐれた漁師は変化の激しい漁獲と流通の波をサーフィンのように乗りこなしていく。

大学にいると、硬直した枠組みの中で身動きが取れなくなってしまっている人をよく見かける。前例がなければ動こうとせず、出る杭を打ち、寄らば大樹、ふつうが一番で、みんなで渡れば怖くない。こういう人を相手にしているとほとほと疲れてしまう。こんなヤカラは、いちど南の海につれてきてカツオ船にでも放り込んでやるべきだな。

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Takekawa Daisuke