自然薯実習II(二単位)

[KOK 0124]

29 Nov 1999


先週の土曜日。福知山のとある沢筋にて自然薯実習II(二単位)がおこなわれた。受講学生は3名。

結論から言おう。受講生はすばらしい成績で単位を修得することができた。おめでとう。

第一の収穫は、傘が開きたての子実体がひしめくナメコ群落(シロ)を発見したことである。朽木から芽を出すナメコの数は100本をゆうに超えた。

九州ではあまりキノコ狩りの話は聞かない、山を歩いていても京都より乾いた感じがする。てっきりキノコは採れないものとあきらめていた。

しかし、ひとつには季節が悪かったのである。京都でも芦生でキノコ狩りをするときは、息が白くなって日陰には霜柱さえ立つ頃だ。それはだいたい11月のはじめである。こちらでは12月も近い今頃になってやっとそんな条件が整う。

残念なことに、まだアタック経験の少ない受講生たちは、このナメコがどれほどの感動に値するのか、今ひとつピンときていないようであった。しかし彼らの、これから死ぬまで続くであろう長いアタック人生の中で、この日のことは今後繰り返し思い起こされることであろう。

ナメコのシロがついていた倒木は、来年のためにちょっと目のつきにくい所に隠した。ナメコを手に入れた時点で、今回のアタックは勝ったも同然であった。おっと筆が滑った・・。ナメコの生育環境を観察し資料を採集した時点で、今回の実習は十分な教育的効果を持つに至った。

さらに実習は続く。前回の偵察で目をつけておいた自然薯のツルを探す。そして、この実習のために購入した「芋掘り棒」で慎重に地面を掘り下げる。ここで実習生たちは、道具のすばらしさを学習した。

道具という拡張された身体を発明することで、人類は多様な環境の利用を可能にしたのである。前回ゼミの時間に、いきあたりばったりの思いつきでイモを掘った時の状況に比べると、われわれのこの進化は、いわばチンパンジーから鉄器時代への唐突の飛躍であり、400万年もの人類の歴史に匹敵する革命といえる。

われわれは2ヶ所に別れてイモを掘ったのであるが、ぼくのグループが最初に掘り始めたイモが、いきなりすばらしいものだった。割り箸ほどの太さのツルがのびる先には、まるまると太った直径3センチほどのイモが続いていた。最初に二股に別れたイモは、2本ともほぼまっすぐに地中に向かっていた。

どこまで掘っても先が見えない。イモとの戦いは2時間をこえた。穴はどんどん深くなり、膝をついて片手で身体を支えながら掘り進めていった。しかし、やがてそれでも届かなくなり、地面に完全に腹這いになって手の届く限りの土をかき出す。地中からは泥に混じって水も出てきた。

すでに穴はひとりしか掘れない。作業があいているうちに、近くの石を集めてかまどをつくり、たきぎで火をおこす。あらかじめ、「鍋」と「すり鉢」「すりこ木」「米」「だし汁」は準備してある。とろろ飯の体制は万全だ。芋掘りに並行して、飯を炊く。予定外のナメコ汁もつくる。

やがて、いつ果てるともしれぬ作業は、唐突に終わりを告げた。長さ70センチほどの自然薯が取り出された。イモは途中で3つに別れ、そのどれもが見事な太さに成長していた。その日の昼飯には、3つのうちの一番小さな枝イモだけで十分であった。

山で食べるとろろ飯の、うまいこと、うまいこと。残念なことに、まだとろろ飯経験の少ない受講生たちは、街でこれだけ上質のとろろ飯を食べるとどれほど高価か、今ひとつピンときていないようであった。

なお、今回の実習では受講生全員にマル優が与えられたことを付記する。

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Takekawa Daisuke