小倉にもどって

[KOK 0134]

11 Oct 2000


イギリスからの帰りはバンコク経由で、時差ぼけで重い瞼をこすりながら、シアムスクエアの市場でおいしいタイ料理を楽しみ、暑気と喧騒を避けるためにチャオプラヤー河畔に足を運んだのだけど、結局よけい暑くなってふらふらしておりました。

バンコクは大きな街で、イギリスから来るとなんだか日本に帰ったように感じました。タイで気になったのは、やたら働いている人が多いと言うこと。小さなコンビニでもお客1人にたいして、店員が5人くらいいたりして。人件費が安いのでしょうか?なにもかも省人力化するイギリスと非常に対称的でした。

日本に戻ったのは11月のはじめで、大学祭の最中でした。今年はゼミと九州フィールドワーク研究会のメンバー合同で、ブタを解体し、イギリスで発見したバックミンスター・フラーのかっこいいドームを造って、そこで夜を徹してフィールドワークについて語り合う予定でした。

まず手始めにドームからと、ちかくの山にフレームにつかう篠竹を切りにいったときから悲劇の序章ははじまったのです。

作業開始の呼びかけが急だったために、てつだってくれそうな学生がいなかったので、たまたま部屋に遊びに来た2人をつれて山に行きました。そして藪の中でごそごそやりながら、篠竹を70本切り出しました。

竹は葛のつるで束ねて、肩に載せながら山を下ってきたのです。ちょっと重いなと思いました。そのとき、まだだれも気づいていなかったのですが、悲劇は、静かに進行していたのです。

研究室にもどり、明日の組み立ての連絡を九州フィールドワーク研究会のメンバーにメールで送った直後に、セカンドインパクトは勃発しました。

イギリスから日本に戻るときに、引っ越しの段ボールを9箱ほど郵送し、その作業をしていたときから、ちょっと変な感じはあったのです。そして、その後に飛行機で何時間も窮屈な姿勢のまま固定させられて・・・。あとで思えば悲劇の予兆は十分あったのです。

メールを打って立ち上がった次の瞬間に、腰部に不規則な痙攣がおき、激痛が脊椎をかけあがり、脳裏には5年前のクック諸島の情景があざやかに蘇りました。

かろうじて身体を支えている仙骨をだましながら、足を引きずるように家まで戻ると、そのまま二階の布団に倒れ込み、翌日は激痛のため寝返りすら打てない状態で、数日間寝込んでおりました。突発性腰部激痛症、世に言うぎっくり腰の再発です。

buta
豚頭

ぼくのいない間に、ドームは完成し、ブタは無事解体され、人々は幸せな時をすごしたと風のたよりに聞きました。そのときぼくは病床で「もう若くない」という冷たい現実に打ちのめされていました。

というわけで、イギリスから帰った直後にこんなことになって、ちょっと大変な毎日です。腰を支えるバンドのおかげで、ようやく立って歩けるようになり、今、帰国の報告を書いておるところです。

腰だけでなく、コンピューターの設定がおかしくて、いろいろが正常化するには、まだまだ時間がかかりそうです。

dome
ドーム

残念ながらブタを逃してしまったぼくですが、まだ負けてはいません。年内にイノシシが一頭手に入ります。猟師と解体人と料理人はすでに手配済みです。とれしだい、いきなり招集をかけますのでみなさんそのおつもりでお待ちください。

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Takekawa Daisuke