茶番劇

[KOK 0137]

23 Nov 2000


イギリスから帰って以来、腰痛のために半分寝たきり状態になっている。ちょっと痛みが少なくなると出歩いて、また再発させて動けなくなる。その繰り返しだ。このところ無理をしたために、今日も激痛で動けず寝たままの休日。反省が生かされてないことについて布団のなかで反省している。

しかし、おかげで、ふだんほとんど見ない昼間のテレビをだらだらと見続け、すくなくとも芸能界と政界については、日本いなかった半年間のブランクを完全に取り戻すことができた。(内容的にはどうでもいいことばかりであるが)

なかでもとりわけ面白かったのは、先日の不信任決議案をめぐる一連のやりとりだ。灰色の背広を着た大人たちのあまりにお粗末なやりとりに頭がくらくらした。もしかしたら、まだ時差ぼけが残っているのかも知れない。

イギリスにいた半年間が影響しているのだろうか?日本の政治家たちが唾をとばしながら交わす議論には、まるで宇宙人の言葉を聞くような強い違和感を感じた。それぞれの党派の主義主張についてどうこういうつもりはない。問題はそれ以前である。いってみれば、与党も野党も主流派も非主流派も、みんなへんだよ日本人。

この違和感を端的に言い表す言葉を、とりあえずひとつ指摘するならば「男」である。森内閣に対しゆさぶりをかける自民党非主流派も、それに対して党の結束をはかろうと恫喝をくりかえす主流派も、テレビのインタビューに答えて、まあいろいろな理屈をこねるのであるが、結局論理だけではどうしようもなくなってくると最後にでてくるのが「男」である。

いわく「男らしくない」「男子の本懐である」「男として恥ずかしい行動である」「それでも男かね」気になって聞いていると、でるはでるは、「男」のオンパレードである。そしてどちらの陣営もそう発言することによって相手にダメージを与えていると信じているようだ。

加藤山崎両派の本会議欠席のやりとりでは「大将」なんて言葉もとびだした。「大将はここにいてください」「大将だけでは本会議には行かせません」まるで時代劇で見ているようだった。

不信任決議案が否決されたあとの、菅直人の発言「男の子じゃないね」。本会議場で、水をぶっかけた松浪健四郎議員の発言「男は自分のしたことにいいわけはしません」。あれ、あれ、ここでも「男」である。

この人たちは、有権者(人類でもいい)の半分は「女」だということを忘れているのだろうか?たとえば、もし「男なら正々堂々と闘うべきである」が正しいのなら「女なら必ずしも正々堂々と闘わなくてもいい」のだろうか?(厳密には男でも女でもない人もいるかも知れないけどさ)。これって女に対して失礼だよね。

「男らしく」を英語に訳する時はどう書けばいいのだろう?普通にいってもたぶん通じない。しいていえば「サッチャー・ライク」かな?「男」の価値世界にすっかり慣れてしまった人には違和感がわかないのかも知れないが、この表現の背景にどんなに奇妙な幻想があるか、それをわかりやすくするために、「男」という言葉を「白人」に置き換えてみよう。「白人らしくない」「白人として恥ずかしい行動である」。いっけん正義を語っているようで、その実、根の深い差別意識が浮き彫りにされる。

「男」という言葉に代表されるイデオロギーは、なかなか払拭されないやっかいな代物であるが、もう一つそれ以上にやっかいなイデオロギーが「国民」である。マスコミは「国民の期待」という言葉を何度も何度も繰り返していた。最後には「国民の期待は裏切られた」とまで言っていた。ぼくもたぶん日本国民だけど、加藤氏の行動にも野党の不信任案にも、なんにも期待してはいなかった。

今までの経緯からすれば、加藤派が自民党を離党して新党をつくっても、野党も与党もまきこんだ総自民党化が進むだけである。あるいは森内閣が退陣したといって、なにか変わるのだろうか?だいたい今までの日本の政治を見てみると、支持率が低いくらいの内閣のほうがちょうどいい。喉元にナイフを突きつけられた内閣は無茶なことはできない。支持率の高さに乗っかって日本の将来にたくさんの暗い種を残した、史上最悪の小渕内閣の存在は、どうやら彼の死と共にきれいさっぱり忘れさられたようだ。

今回の騒動になんにも期待していなかったぼくは、やはり国民ではないのだろうか?それなら非国民?しかしマスコミの世界で国民に対峙されて語られたのは、非国民ではなくて「政党人」だった。「国民」対「政党人」。おいおい、いつからそんな民族が日本に生まれたんだよう。「政党人としてのけじめをつけて欲しい」あれあれ、やっぱり彼らは異星人だったのか?

「負ける戦いはしない」という加藤氏の判断は、個人の判断としてはまったく正当で当然の戦略のように思えるのだが、「政党人」や「国民」といった集団の論理になるとどうもそうはいかないようだ。「卑怯者、いさぎよくない、なさけない」負けることが解っていても最後まで突き進む特攻精神や「さあ本土総決戦」的な価値観は、左翼右翼を問わず相変わらずこの国を覆っているのだろうか。そうして、再び「玉砕」という名の「全滅」をくりかえすのか。どうにも、こうにも、しらけちゃってやりきれない。

だいたい日本の政治の論理がむちゃくちゃになのは、なにも今に始まったことではない。それでも日本が何とかやってこれたのはたぶん世界にもまれな勤勉な人々のおかげである。なりふりかまわぬ日本の政治は、いまや経済まで人質にとって生き残りをはかろうとしている。

日本の政治は、いってみれば「政党人」ばかりが住む永田町の村芝居みたいなものかもしれない。でも、今までは赤坂の料亭でしか見ることができなかったこの茶番劇が、テレビでも見られるようになったことは、その内容を恥じる前に、むしろ進歩であるとよろこぶべきだろう。だってみんな税金という名の木戸銭を払っているのだから。というわけで総括していえば、今回の事件は、「日本の政治劇に新たな茶番の一幕がつけくわえられた。」ということにでもなるだろうか。

腰をつかさどる魔女による最初の一撃をうけてから、はや3週間にもなる。この痛みはあくまでも身体的な問題なのだけど、こうして生殺しの生活を繰り返すうちに、心までだんだん陰鬱になってくる。

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Takekawa Daisuke