春眠不覚暁

[KOK 0147]

05 Apr 2001


時差ぼけが直らない。下の子供といっしょに朝の4時に起きて、夜が明けるまで思索にふける。

「春眠不覚暁」という有名な漢詩の冒頭がある。学校ではその意味を「春の早朝(あした)はとりわけ眠い」と習った。うららかな春の朝、あまりの気持ちよさについつい惰眠をむさぼる、そんなイメージである。これまでこの解釈を疑いもしなかった。

でも、この詩の作者である孟浩然は本当にこんなつもりで書いたのだろうか。日本に住む我々が、勝手に自分たちの春のイメージをもとに詩を曲解しているのではないだろうか。ひんやりと寒いイギリスの朝に、ふとそんなことを考えた。

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テムズの日

この詩は、単純に「春の眠りは暁に目覚めず」、すなわち「春の夜明けはとても早い」といっているだけのようにも読める。イギリスのような高緯度地方は、春になると急速に日が短くなる。もう5時過ぎには空は明るいのだ(実際にはサマータイムで1時間時計が進められているので針は6時をさしているが)。詩の情緒を排してこんな解釈をしては身も蓋もないといわれるかもしれない、しかし後に続く鳥や嵐の描写を読むと、孟浩然は案外すぐれたナチュラリストだったようにも思える。

「秋の日はつるべ落とし」という言葉も昨年のイギリスで痛感した。近くの公園の閉園時間が日に日に早くなっていくのは本当に寂しいものだった。夜の時間が一番短くなるのは12月の冬至だが、一日あたりの日の短くなる割合は9月の秋分の日の頃が一番激しい。だから実感としては、9月や10月頃に短くなっていく夕辺のあわれをもっとも強く感じる。

中秋の名月。なぜ9月の満月が名月といわれるのだろうか。地球の地軸が、公道すなわち太陽に対する地球の軌道にたいして傾いているため、日の出と日の入りの早さは季節によって変わる。しかし月の軌道は、つねに地軸とほぼ水平である。ここからなにがいえるのかというと、昼と夜の長さが等しい春分や秋分の頃は、ちょうど日が沈む6時頃に満月が上ってくるということになる。

古人が愛でた名月は、沈む夕陽に照らされて水平線上に赤くかすむ月だったのだろう。ならば秋だけではなく春にも名月があるはずだ。「菜の花や月は東に日は西に」与謝蕪村作のこの俳句は、まさに春の名月を歌っている。月が東に上り同時に日が西に沈むのが見える時期は春と秋しかない。彼もまた自然するどく観察している。

ちなみに、愛する美奈さんを黒色肉腫で失って、失意の淵にあった星飛雄馬は、徹夜明けのマウンドで沈みゆく満月と昇る太陽を見てみごとに復活した。手元に原本がないので確認できないが、これもまた寒い冬を終えた春だったろうか。彼の瞳が燃えていたことだけは確かである。

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イギリスの桜

シェークスピアの名作「真夏の夜の夢」の原題は、A MIDSUMMER NIGHT'SDREAM である。我々日本人が「真夏」と聞くと、夏の盛り8月頃の寝苦しい夜を想像するが、実際には英語のミッドサマーは夏至。これは実に誤解をまねく訳である。このタイトルの意図ははかなく短い夜の夢。けっして熱帯夜の悪夢ではないだろう。

さて、ここで問題。日没の時に太陽の下の接点が地平線(あるいは水平線)にひっついて、その後太陽が完全に沈み終わるまでの時間を、ソロモンで計ったら約3分間だった。この時間って地球上どこでも同じなのだろうか。ただし、空気の屈折は考慮に入れず地球の自転速度は一定とする。


この件に関して英文学研究者のKさんからメールをいただいた。

シェイクスピアの『真夏の夜の夢』は変な訳ですが、ある意味で名訳だと思います。『夏至の夜の夢』でも結局イギリスのmidsummerのイメージは伝わらないわけだし、そうすると、日本で幽霊が出没する季節は真夏でイギリスの妖精がでる季節midsummerと雰囲気として近いといえるかもしれない、ということでしょうか。

なるほど。幽霊にも旬があるのだ。文化的な背景がわからなければできない翻訳という作業もまたいわばひとつの創作活動なのかもしれない。

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Takekawa Daisuke