読書会

[KOK 0151]

14 Apr 2001


イギリスに来るにあたって何冊か本を持ってきた。

「イデオロギーとは何か」テリー・イーグルトン:平凡社ライブラリー
「ネイションとエスニシティ」アントニー・D・スミス:名古屋大学出版会
「民族とナショナリズム」アーネスト・ゲルナー:岩波書店

この3冊は、昨年からずっと気になっていたネイションステイト(国民国家)の成り立ちに関連する本だ。イギリスという場所でなにかじっくりものを考えるのに、もっともふさわしいテーマだろうと思って本棚から選んできた。それにアントニー・スミスはオックスフォード大学にも出入りしているので、滞在中に話をする機会があるかもしれない。予習をしておかないとね。

「ヘーゲル『精神現象学』入門」長谷川宏:講談社選書メチエ

本当は『精神現象学』(作品社)の方を持ってこようと思っていたが、重たいので「入門」にした。この本を6歳の葵といっしょに少しずつ読み進めている。長谷川宏が読解したヘーゲルをさらに6歳でもわかる言葉に砕いていく。この作業がなかなかおもしろい。いわば翻訳の翻訳だ。子供たちは、ヘーゲル君が考えたお話について毎日寝る前に集中して聞いてくれる。

hasi
スイセン野原

たとえば第二章「意識の根本性格」では、絶対知を求めるための方法としてヘーゲルは、たえず自己と世界を乗り越えるため理性と現実に基づいた徹底的な内発的否定(自己否定)と発展の論理を要求する。これを文脈に沿ってしどろもどろに訳していくと、葵は「ああ、それって迷路とおんなじことだね」という。彼女のいう迷路とは、紙の上の迷路ではなくて、イギリスの公園にある生け垣で作られた等身大の迷路のことだ。

迷路では行き止まりに面したとたんそれまでの道は否定される、確かにこれはヘーゲルが目指した常に動的に徹底的な否定によって進められる知の過程と同じ作業だ。ちょうど空から俯瞰された迷路のようにあらかじめ与えられた道のりによって進められる知の過程と対照するには、とても的確なたとえだと思う。

難しい用語が頻出するが、6歳の子供なりにどこか理解しているらしいところが不思議である。翻訳という作業をとおしてこちらの理解もすすむ。いわば理想的な読書会である。たとえば敬虔なクリスチャンやムスリムの家庭では、言葉もおぼつかない子供のころから聖書やコーランを読み聞かせるという習慣がある。読書百遍義自ずから通ずというか、門前の小僧習わぬ経を読むというか、ヘーゲルをそんな風に読んでみてもよかろうと思う。

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Takekawa Daisuke