記憶・理解・学習

[KOK 0169]

24 Jun 2001


覚えることと、解ることと、学ぶことは、どこか微妙に違うような気がする。みなさんから送っていただいた「勉強ってなに」を紹介する前に、その違いについて少し考えてみたい。

ちょっとまえに「こくら日記」でふれた、「"The ape and the sushi master" 猿と寿司職人」の本をこのごろ少しずつ読み進めている。この本の中心的な議論は「動物にも文化があるのか」というもので、西洋思想を支配する「自然と文化・本能と理性・動物と人間」という二元論を乗り越えるために、最近の生物学的(とくにサル学)の成果などを紹介している。こうした議論は、われわれ日本人には比較的親しみやすい話なのだが、ようやく西洋の動物学でもそういう視点が影響を持ち始めたのかという感じだ。

ここで「猿」とともにタイトルにあげられている「寿司職人」とは、以下のエピソードが元になっている。日本では、寿司職人は見習い期間のあいだは、掃除や後かたづけをさせられたりして、寿司を握らせてもらえない。技術的なことはなにも教えられないまま、ただ熱心に見ているだけである。そして3年後に突然、寿司を握らせてもらい寿司職人になる。

いかにも不思議の国ジャポン的な理解だが、いわばパッシブ・オブザべーションにたよったこうした「職人的」学習方法は、言語を介して論理的におこなわれる教育とは非常に違った側面があり、言語を持たない猿たちが学習するときもこれと同じメカニズムが働いているではないかというのが、筆者の主張だ。

たしかに、子供が言葉を覚えたりするときは、関連性や理屈とはほとんど関係なく、まるでスポンジのように知識を吸収していくことがよくある。彼らは意味もわからずともそのまま覚え込むことができる。子供に限らず人間には多かれ少なかれそういう能力がある。

あるいは人類学者がフィールドにおいて異文化を理解しようとするときも同じような経験をもつ。自分の帰属していた文化的文法に即して相手の文化を理解しようとする研究者は、たいてい落とし穴に落ちる。たとえばある種の呪術を「これは集団催眠による誘導だ」と分析してみても、その分析は相手の文化的文脈においてはまったく「意味」をなさなかったりする。

それよりも、フィールドではいったん考えることを保留して、ひたすら相手の振る舞いを模倣することによってなにかが解るようになるということがよくある。

こうしてみると「身体や記憶」に頼る学習法というのは、インデックスをつかって関連づける学習法よりも、実は起源が古いのかもしれない。以前にソロモンタイムで書いたが、無文字文化のソロモンに住む語り部は驚くべき記憶力を持っており、村のさまざまな歴史物語を丸ごと暗記していた。彼はテープレコーダーのように聞いたことをそのまま吐き出す能力を持っていた。しかし、彼は小学校でドロップアウトしていた。

近代の起源には様々な定義がされるが、知識という面から見ると活版技術の発明をその一つにあげることは十分に意義があると思う。活版技術の以前と以後では、知識のあり方が大きく変わった(そしてコンピューターやネットワーク技術はあくまでもその延長でしかない)。活版技術によって、知識はテキスト化され、大量に複製され、一度に多くの人に共有されるようになった。

近代教育というのも、言ってみればこうした「知識の外在化」「知識の身体(脳)からの離脱」が前提になっていると考えることができる。すなわち、技術の進歩によって、すべての知識を自分の脳に入れる必要がなく、知識は書物の形で体の外に置くことができるようになったのである。そうなると、近代的学習の究極的な目的は、いかに効率よくその知識にアプローチし、それを再統合するかを覚えるというということになる。

ここで「近代的学習法」と「職人的学習法」のどちらが優れたものであると言うつもりはない。どちらもそれぞれ利点があるだろう。職人的学習法はとくに身体に依存した高度な技術と洗練された専門性を獲得するために不可欠であるし。近代的学習法は、ひとりの人間の能力をはるかに越えた知識の共有を可能にする。

問題なのは、日本の教育システムが目指しているのは「近代的学習法」の獲得のはずなのに、現場ではいびつに変形された「職人的学習法」すなわち丸暗記が、高く評価され奨励されているという現実である。

たとえば、英単語をすべて記憶しないと英文が読めないという発想の教え方と、辞書を引いて英文が読めればよいという発想の教え方の方法論的違いを考えてみればいい。情報を有効に活用する近代的学習法が目指すのは、後者のはずである。

日本の教育の現状を考えるとこれは非常に不幸な誤解である。そして中学高校と記憶による教育を強く受けて一生懸命勉強してきた人たちが、大学に入って、膨大な知識を前ににっちもさっちもいかなくなるというのは一種の悲劇である。

さて、そんなことをつらつら考えながらみなさんが送ってくれた勉強法をよんだ。なんだかみんなそれぞれに思い入れがあるらしく、いつもに比べてどれも文量が多い。これらのメールをぼくが要約してしまうとその面白さが半減してしまうように思うので、長くなるがこれからいくつか選んでそのまま紹介したい。

(とても、すべての人の分は紹介できないので、面白そうなメールを選ぶところまではぼくがするけど、私信の部分はのぞいて内容は極力手を加えず全文紹介します。送って下さったみなさんそれでよろしいでしょうか?。それと「ちょっと遅れたが私の話も聞いてくれ」という方がいたらぜひ送ってきてください。)。

先にちょっと書いておくと、関連づけにビジュアルイメージを使う人が予想以上に多かった。かくいうぼくもその一人である。これって教育の現場では完全にないがしろにされているけど、もっとまじめに考えてもいいことかもしれない。ビジュアルイメージといっても、単にビデオとかマンガを教材に使うというありきたりの発想ではない。大脳生理学的な記憶のメカニズムに即して、色や位置や形を関連づけに有効に利用した理解のしかたである。

芸術的工学者・アメリカより

俺は暗記がテンでだめだった。でも視覚に訴えるものはよく覚えていた。これには論理性は関係ない。でも数学、物理は何も覚えることがないので好きだった。論理をつめればつめるだけどうしても納得して、記憶しておくに値するものが減っていく。そういう考えるという行為に対するごほうび(覚えなくていいということ)みたいなものがあって、学習意欲も湧いたもんだ。つまり、突き詰めれば理解と納得と暗記が同意語である境地になる。ブルバキ的公理主義みたいなもんだろう。

少なくとも高校の物理数学はそうだ。この性格は今でもそう。京大で自然風の非線形成を扱う段になって必ずしもこうはいかなくなってきた。つまり、現象として受け止めざるを得ないものを取り扱った。それに何らかの説明を与えようとしていた。研究ってこんななんだと感動した。いまは少し風の研究から離れてるけど。

話を戻すと、この論理性に対する執拗な習慣はしばしば自分はバカなんじゃないかと思わせる。どうしてみんな俺と同じ疑問をもたないんのだろうと実に思いっぱなしの生活だ。とくに文部省の教科書には実はこれこれしかじかの奥深い内容を含んでいますが、ここではこんなけしか述べませんっていう説明は一切ないからね。すべて説明してますって言う顔をしてる。これは罪悪だと思う。

これに気づくまで人が疑問に思わない疑問に気づいて先に進めづに考えてる自分はどんどん人から遅れをとっていった。授業なんて最後まで付いていったことがない。必ずどこかで立ち止まって先生の話をきかづに考えていた。時に高校の先生は俺の質問に答えられなかった。

疑問に思わない人の中で本当に理解している人がごくわずかであると気づいたのはごく最近だ。つい最近も大学のアドバイザーとの対話の中で俺が独自に導いた解が結局正しかったがにもかかわらず、エンジニアでもあってもはやじっくり考える時間のない彼は自分の今までの経験的な知識にとらわれて一向に納得せず、結局文献を散々探し回って同じ考えと示している2行ほどのテキストを見せてようやく考え直し始めたということもあった。

まあ、しかし要領の悪さも人一倍なので俺のやり方が別に良かれと思っているわけでもない。

もうひとつ、俺の記憶に対する体質は、一番初めにもいったように映像に近いようだ。中高のテストで俺が必死に記憶をたどる方法といえばノートのどこに書いてあったかということで、絵や文字を思い出す。鮮明に思い出してそれを読むとまでは行かないが、いまだに寝際に金縛りや幻覚に襲われるときは当時のノートらしき一ページが出てきて化学記号とかベンゼン冠とらしきものがでてくる。もっと小さいときにみていた図鑑の絵とかね。

高校でこの体質に気づきだしたころ、苦手な社会科の暗記しないといけなかったものや時には英単語一夜漬けの方法として、エロ本の上に書いてそれらをにらんで覚えた。いまだに映像つきで鮮明に覚えている単語があってそれは「rigid」と「conviction」だ。それはまさにしかるべきところにかいてあった。映像といってもこれらの場合は意味を持った「イメージ」だね。

あと、いまだに自分でもよくわからないで困るのが、騒音に混じると人の話が極端に聞きづらくんなってしまうことだ。とくに飲み屋とかで話してると、一生懸命聞こうとしてるんだけど俺だけが聞き取れない。日本語英語にかかわらず。でも音楽なんかはよく聞き分けられるようだ。みなが騒音でよくわからないという中で俺だけがはじめて聞く曲でも「この旋律なんとなくあの曲に似てないっ?」とか。

心を見つめる研究者・長崎より

私の勉強法についてです。もちろん学校の先生に勧められる方法でも勉強らしきことはやってはおりましたが、確かにあまり身に付かなかったようです。

私、ある日突然数学(中1の時の因数分解)がわかった瞬間があったのですが、それは夢の中で数字が踊っていて括弧から出てきたりして、その次の日から計算ができる様になったという体験でした(←全然役に立たない、勉強法じゃない!)。

同じように夢のおかげで編み物が出来たのが小学校4年の時でした(勝手に毛糸が動いていました!)。なんていうか夢に出てくるくらい(視覚的イメージとして)考えていることは、その段階でそれについての技法は攻略しているということなのでしょうか?

それから高校までちっとも役に立たなかったけど大学に入って役に立ったと思える勉強法は、竹川さんと逆で黒板の内容や先生の発言をとにかくノートしていました。ただ人と違うところは文字が書かれているノートを見ずに先生の顔や黒板を見ながら手を動かしていたことです。

だからもちろん出来上がった記録はむちゃくちゃでした(文字が重なったりはみ出たりして解読不能でした)。その解読不能のノートを解読することで、また、先生のそのときの顔や声音を思い出しながら記憶をたどることで頭に入れていたのです。

単純な暗記が必要な課題にはあまり役に立たなかったけど、理屈や考え方をまとめるような課題には役だったのかなと思っています。だいたい字が汚いから、きれいなノートなんて作れない故の勉強法です。今でもそれは出来るのでおもしろい講演など聴くときにはそうしています。

私は書いたり、しゃべったりは苦手だけど、方向音痴じゃないのです。なにを言いたいのかというとどうも私の思考パターンは言語というよりイメージ頼りなのかなということです。それで上記2つのようなやり方でものを学んでいたのでは・・・と勝手に考察してみました。

超新人SE・東京より

インデックスという勉強法は、私にとって、とてもタイムリーでした。

今やってるパソコンの操作はその言葉や名前だけ覚えていても、「どこにあるか」というインデックスをきちんと記憶していなければ、全然役に立ちません。

大学では高校時代と勉強法が一変してしまったにもかかわらず社会人になって勉強する時には、大学の時のやり方ではうまくいかず、困っておりました。

ので、インデックスというやり方もいいなと思いました。ただ、それが自分のからだとマッチするかというと別の話になりますが。

さて、自分の高校時代を思い出してみると、私は内職ざんまいでした。

英語の時間に数学の問題を解き、数学の時間に国語の漢字を書いたりしていました。

ただ、教師の眠くなる話を聞いているよりも、内職をしている分、50分の密度は非常に濃くなります。

見つからない様にするという緊張感と50分の時間内でどれだけ内職できるかというモチベーションの高さから、どんな教師のつまらない授業でも、充実した時間を過ごすことができました。

教壇の目の前の席で内職してた時は見つからなかったのに、前から2番目の席で見つかった時もありました。「理不尽だ。」と思っても、廊下に立たされます。

「無駄」な要素が多すぎてつまらない、教師の語る独り言的ストーリーを一々まじめに聞いてたら「時間の無駄」なのに、なんでこっちが怒られて、立たされてんのかな。

とすぐには思いつかず、素直に教師に謝りました。自分のやり方を貫くには、ちょっとまだ弱気でした。

一方、その授業のノートを取らないかというと、マメなぐらいきちんと取っていました。先生の言葉じりまでちゃんとノートにとることで、自分の頭で覚えなくても、「あとでノートをみればなんとかなる」という状況を作っていたのです。

だから授業の内容はその場で覚えるというより、ノートで、というかんじでした。

一番好きなのは世界史で、あの関連性のネットワークの織り成す世界が大好きでした。でも、あのノートを開けば思い出すけど、今は思い出せません。

基本的に「おおまかなところを掴んだら、後は覚えない。」というスタンスなのです。

ただ、今でも覚えているのは世界史の資料集に載っていた「ラオコーン群像」。教師の話を聞きながら、いつもこれに見入っていました。海蛇がどこをどう繋がって親子に絡みついているのか。その躍動感溢れる彫刻を見ながらいつも思っていました。

おおまか・内職ペアの勉強法から外れる懐かしい例外の一つです。

就職先がない私・北九州より

私は高校に入るまで全く勉強しない子でしたねぇ。漫画本とか小説とかばっかしよんでました。風とともに去りぬとかを一日で読んでたりしました。で、中学の時のテストは一夜漬け、小学校の時は勉強してませんでした、確か。高校受験は落ちちゃいましたねぇ。それで、私立に行きました。

高校で大学には行きたいなぁってなんとなくおもってて、でも我が家は貧乏だから国公立じゃないとと思って、あぁ、それには勉強しないとってことに気づきました。それでも私が勉強始めたのは高校2年生も半ばをすぎた頃からでした。

私は周りからいわれると余計したくなくなるんです。自分がどこまで理解していて、これからどういう勉強をしなければいけないのかを自分で考えて計画をたててする勉強じゃないとできません。誰かにいわれてやってもろくなものは出来ないです、私の場合は。

自分で計画を立ててやる勉強は楽しいです(暗いからかもしれない)。どんどん分かるようになるし、自分のペースで出来るし私好み。だから、定期テストとか、小テストとか邪魔くさくてたまらなかった。そのための勉強で一日私の勉強ができなくなるーってかんじでした。

予習はしたことないです。予習をして授業で先生が何を話すのか分かったら、授業中つまんなくなるし、集中できなくなるから。ノートはとってた。

勉強して思ったことは、順位を上げるってなんて簡単なんだろうってことと、こんなことで周りの人はどうしてこんなに見る目をかえるんだろうってこと。

えぇっと、なんだか質問の答えになってないか…。勉強は何かっていうと、うぅーんっと、自己満足かな?

っていうかんじです。それでは。

ほこり高き「あほ」・京都より

とにかく勉強はむかしから大嫌い。今でも本を読むことも好きではないし、なかなか頭に入らないから読むスピードはとても遅く、人よりも時間がかかる。結局、国語力がないということだと思うのだけど、これは一重に小さいころから文章を避けて、読むという努力をしなかったからではないかなぁと思う。

そんな僕は小学校低学年・中学年と所謂落ちこぼれという成績。クラスで下から1番や2番目の点数なんてザラ。ただ小学校6年の最後の成績はクラスで上位3番目。中学で再び落ちこぼれ。中3の6月にあった模試では学校で176人中157番の成績。だけど卒業間際には20番台。それも束の間、高校1年で142人中140番の成績。でも卒業間際には50番台。

昔も今も勉強は大嫌い。ただ僕には「あほ」と思われたくないあほなプライドがあるみたい。中学のときは生徒会をしており、とにかく頭のいいとされる「特進」といわれるところに行きたいと思った。11月から受験のあった2月中旬まで1日の睡眠時間は4時間。夜12時に寝て朝4時に起床。7時まで勉強し登校。学校から帰れば制服のまま机に座り、トイレに行くか風呂に入るかめし食うか塾に行くか以外は勉強してた。

特別学風に惹かれていたわけではない。とにかく頭のいいとされるところに行きたかっただけ。在学中は嫌でたまらんかったけど、まぁ今となっては嫌なことも笑い話。後輩たちのおかげで卒業生としてそれなりに自慢できる学校にもなったし。甲子園の決勝で松阪にノーヒットノーランされるなどして。

最低の成績を経験した僕が言えることは理由はなんでもいいから本人がやる気にならないとだめということ。僕は勉強は嫌いだけど、これらの成績が上がる過程においては勉強がしたいと思っていた。寝るのも惜しいと思った時もあったほど。知識として将来的に何の価値があるかなんてどうでもよく、とにかく先の進路の見栄ばかりを気にして。

目的なく入った大学では僕にとっては就職を有利にする手段でしかなかった。もちろん何の仕事がしたいなんてこともぜんぜんなかった。なんとなしに過ごした1年が経った時、希望した「心理コース」は落ちたし、それどころか心理学概論まで落とすはめになった。

その他にもいくつかの講義を落とす結果となった。とりあえず卒業できればいいと思っていた僕は先輩に聞いて簡単に単位の取れる講義ばかりを選んでいたのだが、これが悪い結果となったのである。結局、もともと勉強の嫌い、知識のない僕が興味のないことをやってもうまくは進まないということなのか。福祉に興味を持ち福祉を専攻した僕は結果的に現在福祉に従事している。

僕は勉強は嫌いだが「勉強」という言葉も嫌い。でも「学ぶ」という言葉は嫌いでない。むしろ好きであるような。

僕は現在相談員という仕事をしているが、自分の技量をあげるためには知識も得たいし、いろんな経験もしたい。僕のイメージではこの「○○○たい」というのがここで言う「学ぶ」であるような気がする。逆に「勉強」という言葉からは「義務」や「受動」といった言葉が連想される。だからと言って「勉強」を避けることもできないような。

僕が思うに勉強が出来る人は「勉強する」を「学ぶ」にすりかえることができる人。それは本当に「勉強」が好きであったり、「○○学校に行きたい」であったり。もちろんもともとの素質によるところも大きいのでしょうが。

「あほ」とレッテルを貼られていた僕でもやればそれなりにできることは学んだつもり。要はやりたいと思えるかどうかということ。

家庭教師をやっていて、教えたことことについて問題ををすらすらと解く生徒が1週間後何も出来なかったときむちゃくちゃ腹が立つが、この生徒にとっては「勉強」でしかなかったということ。

大学の4年間ほど自分で24時間をコントロールできる時は他にないと思う。バイトをするもよし、勉強するもよし、旅行に行くもよし。こんなにいろんなことを学べる期間はない。みんな社会人になってから気づくんだけど。1年や2年皆より遅くともこの貴重な時間を延ばし、たくさんのことを学んで社会に入ることのほうがすばらしいのかもしれない。時々そう思うときがある。

究極の地理音痴・京都より

私にとっての「お勉強」は、基本的に嫌なもので、無理矢理本を読まされたり、覚えさせられたりすること。テストのために暗記をすることとか、仕事のことで「知っておかないといけない」みたいな感じで本を読んだりするのがお勉強。

基本的に本を読むのは好きだったから、国語の教科書を読むのはお勉強ではなかった。国語の授業も聞いてて楽しかったからお勉強ではないの。数学も、大問は「どうやって解くんだろう?」って興味があったからお勉強じゃなかったの。九九は無理やり覚えたからお勉強。理科も最初はお勉強でなかったのだけど、高分子化合物あたりから無理やり覚えさせられる「お勉強」に変わっちゃった。英語も結構「お勉強」。これは「英語は覚えないといけない」って最初から思ってたから、苦痛だったんだと思う。

ずっとお勉強だったのは社会。福岡市と北九州市しかか知らないのに、福岡県の地図見せられて「クルメ」だの「オオムタ」だのいわれても何のことだかさっぱりだったさ。ようやく「福岡県」というものが理解できはじめたころには社会の授業は「日本全国」の話になってて、でもそんな大規模な話にはついていけないから、仕方なく一問一答式に覚えることにしたの。宮崎県がどこにあるのかなんて知らないけど「宮崎」といえば「野菜」、「江戸時代」といえば「徳川家康」、「文明開化」は「ザンギリ頭とすきやき」って。このやり方で中学生までは通用したけど高校では全く駄目だった。

社会の駄目さについてはちょっとすごいよ。中学生の途中(多分2,3年生)まで世界地図は地球の「片面」だけを書いた地図て思ってたの。地球は丸いから裏にもたくさんの国があると信じてたのさ。それで、時々教室に張ってある地図を見ては、友達に「地球って大きいよね」とか「全世界ってすごいよねー、知らない国がたくさんあるんだろうね」とか言ってた。

世界地図が地球全体の地図だって知ったときには「何だ、地球ってこんだけ?」ってがっかりした。さらに高校3年になるまで、佐賀県の場所がわからなかった。佐賀県は福岡県の右隣で長崎県が福岡県の左隣って信じてたのに、白地図には福岡県と長崎県の間に変な県がはさまってたから、先生に「これ間違ってます」って驚かれた。

でも、そういえば楽しい「お勉強」もあった。国家試験のためにひたすら暗記したけど、それは楽しかった。特に興味があったとかいうわけではなかったと思うけど、クラスの友達と一緒にやってたからかな?

大体において、やっぱり人間やりたくないことを無理にやろうとしてもだめだね。興味があったことでも「覚えなくちゃ」と思った時点で苦痛な「お勉強」に変わるみたい。逆にやりたくなかったことでもそれを楽しむ方法(私の場合は友達と一緒に勉強すること)や要素がみつかれば「お勉強」も楽しくなるらしい。それとか苦痛な「お勉強」から一旦離れてみると再び興味が湧いてきて楽しめるようになることもあるみたいだ。

だって、大学生になって「お勉強の社会」から離れてみると徳川家康の本が読んでみたくなったりしたもの。読んでないけど。そして、ついに今では日本の県名は全部言えて、その場所が何となくいえたりとか、さらに県庁所在地までも言えたりすることもあったりするのだー。

ていうとこらへんで。

さすらいの酒職人、岩手より

勉強の話し、興味深く拝見しました。私もよく考えていました。自分にとっての勉強ってなんだろうか?

大学までは当たり前の様に、大学に入る為の受験勉強をそれなりにしました。この頃から「本当の勉強は大学に入ったらできる」、とは思っていました。予備校は特にそれを明確化させてくれ、受験テクニックなるものを覚えたといった感じで、勉強していたとは全然思えません。

大学に入り教養部では講議に対して、頭の中でハッキリとした区別が有りました。面白い講議と、単位をとる為の講議。これは成績にはっきり現れました。前者は、ほぼ優、後者は可、不可、良も有りましたが。ここで面白いのが、友人との情報交換をすると、優をとった中に「あの講議で、優の奴は聞いたことがない」なんてのが有ったりしました。やっぱり、その講議が好きだったのでしょうね。

専門課程に入ると、状況が一変しました。殆ど全てが、自分にとって、単位をとる為の講議でしかないのです。自分の興味の方向性と全く違うのに気付きました。ここから長いモラトリアムに入ってしまいました。工学部には似た様な悩みの人間がやはり多くて、留年率も一番高い状況でした。方向を見失ってからは、ますます講議も頭に入らず(適正も欠いていた気がする)、どんどん学校からは離れて行きました。今考えても一番辛い時期でした。

ここで、学校以外の社会とのかかわりが私の意識を大きく変えて行きました。山小屋、割烹料理店等で働いているうちに、なんとなく掴みました。理屈では説明できない様なものが沢山有ることを。特に豊富な経験に基づく、人間のカンに素晴らしさを感じました。同時にそれまで、知識や、理屈に頼りがちだった自分に気付いたのです。そんなきっかけから、今の業界に入り私の本当の意味の勉強が始まった気がします。

酒造りを始めて2年目ぐらいに、私の尊敬する80歳位の先生からのアドバイスは、いまでも心に焼き付いています。「若い時は兎に角、五感を使って酒造りを覚えろ。本で調べるのはいつでもできる。本を読むのが面倒だったら、知識を持つ人に聞けば良い。理論はもちろん大事だが知りたくなってからで良い。」このアドバイスは、若い世代で職人仕事をしている人間に向けて、最高の指針になります。この言葉を聞く前も、意識はしていなかったのですが実践してました。しかし、これを機会にハッキリと自分の勉強法が、確立した気がします。

このアドバイスで重要なのは、その順序なのです。まず気付くこと、それに付いて調べる、勉強する。良く言われている現代の知識詰め込み形の教育ではこれができる人材が非常に育ちにくくなっています。頭の中で解っているつもりになってしまう人が多いのです。実際は、私もよくあることなので注意していますが。

仕事だけではなく、趣味の世界も全てそんな感じで、行っています。こうなってくると、苦になる勉強など殆どありません。解らなくて気になるから勉強する、調べる。語学は身につけたいから学ぶ。そんなのが、最近の私の勉強法ですかね。勉強しているとは本人は思っていませんが。

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