[KOK 0246] こくら日記のトップページにとぶ 20 Jul 2004

偽善者

 

このごろでは「内省」や「反省」を「自虐」とよぶ習わしがすっかり定着してしまったようだ。同じ行為を「自己批判」とよび、なぜだか他人にそれを強制していた昔は、すでにずいぶん遠くになったものだ。

そもそもいちいち反省しないのがポジティブシンキングである。

正しいことを正しいと言ったり、間違ったことを間違ってると言ったりするのはおおむね偽善者だという。

そもそもいちいち自己主張しないからヒキコモルのである。

「どうして偽善者なんてよぶの?」と尋ねると意外な答え。

「『よいことをしていると思われたくてそれをしているのだ』と他人に思われたくない」ということが一番大切なのだそうな。だからあえて「自分は偽善者だから」といっておくのだそうな。それはつまり「単にしたくてしているだけで『よいことをしている』と思われたくてそれをしているわけじゃないのよ」という意味の予防線なのだそうな。この理屈、この距離感、なかなか難しいのである。

スタードームで講義

飢餓で苦しむ子供の映像や戦争のニュースをみると「かわいそうになんとかしなきゃ」と思う前に「日本に生まれて自分は幸せだ」と思うのだそうな。「ぶっちゃけ本心はだれだってそうじゃないですか?」なんてネコマンマのような事を言う。「私は嫌なのだけど」というと「要は考え方ですよね」と返された。ちがうと思う。

「幸福と不幸を決定づける要因とは何か?」という設問でレポートを課したら多くの人が「それは心の持ちようだから要因は人によってちがう」と書いてきた。ほんとうに心だけの問題なのか?

スタードームで講義

そもそも世の中は、快感と不快の二つの軸しかないのだろうか。快こそが善で真実で美しく、不快は悪で誤謬で醜いということか。そうなるとたしかに正義も不正もあったもんじゃないな。たしかに、そんな基準を他人に求めても意味がないよな。

でもそれって善悪を超越しているというよりは、まだたどり着いていないという感じだ。だから予期せぬ不快がやってきて困ってしまうと、嵐が過ぎ去るまでただもうヒキコモちゃうわけだ。

スタードームで講義

そんな彼/彼女に「おいおい、なんとかしたらどうよ」とつい言いたくなるが、そういう私の言葉もしょせん偽善らしいし、そもそも他人に働きかけるくらいなら、自分の心を偽るほうが楽らしい。世代をこえてこんな快感男や快感女が増えている。めんどうなので、あまり友達にはならないようにしようと思う。


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