[KOK 0251] こくら日記のトップページにとぶ 16 Feb 2005

感情支配

 

理性(ロゴス)と感情(パトス)を対立させる西洋キリスト的価値観においては、ながいあいだ理性こそが人間的なものであり、感情はむしろ動物的な特性であると考えられてきた。しかし、最近の脳科学や進化論の研究では、そうした考え方は否定されつつある。人間はほかの動物と比べても高度に複雑な感情を表現し、細やかな感情の差異が理解できる認知能力を持っている。

知性や理性は感情に対立するものではなく、知性や理性を形作っている材料が感情なのである。感情は記憶を強化し、意欲や動機に働きかけ、欲望や選択、判断、価値観を形成する。扁桃に中枢をもつ感情は新皮質の理性活動にとってきわめて経済的なショートカットであり、認知における脳の働きの効率を高めている。

しかし錯視が視覚認知の経済化によって生じてしまうのと同じように、生きていく上で役に立ち信頼が置けるはずの有能な感情能力が、しばしば錯覚を起こし非合理な判断へと人を導くことがある。

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高度な情報技術は理性的な知識や情報の伝達以上に、感情の大量分配を可能にした。メディアの進歩によって、仮想現実の世界で多数の人間の感情をいちどきにコントロールすることが可能になった。ひとりの人間を笑わせる技術を映像表現に応用すれば、数千万の人間を笑わせることだってできる。映画やテレビは毎日のように不特定多数の人間を個室の中で、おこらせたり、わらわせたり、なかせたりしている。

もし、人を支配したければ、怖がらせればよい。人を誘導したければ喜ばせればよい。こどもや小さな動物に感情は弱いし、家族や恋愛の不条理に感情は過敏である。人の目を引きつけたければ、そうした問題にすり替えてしまえばよい。

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こうした人間の感情の中でもっともやっかいでもっとも強力なものが嫉妬であろう。たとえば、ある放送局が情報を編集し事実と正反対な番組を作ったことよりも、その責任者が業務上の特権を利用して私腹を肥やしていたことに人はより腹を立てるのである。社会的影響の深刻さでいえば前者のほうがよほど問題なのに。

嫉妬は損得関係を司る感情である。人の行動を究極的に規定するのは自分と他者とのあいだに形成される損得関係で、それを無視してはいかなる倫理も法律も機能しない。匿名で書き込みができるホームページのトイレの落書きのようなえげつなさみるがいい。損得関係はつねに個人間の社会関係が継続的に維持されることが前提となる。社会化による抑制のたががはずされた感情は暴走を始める。

また宗教者や為政者であれば感情を利用して人を支配しようと考えるのは当然だろう。なにしろ今の時代は簡単かつ大量に感情を分配できるメディアがあるのだから。それどころか現実の状況はさらに倒錯している。生身の人間に対しては感情をうまく表現できない人が、テレビやインターネットの前では感情をあらわにする。現実の刺激よりも、バーチャルな刺激のほうがより安全で効果的に満足できるから好きだという人もいる。

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かくして感情支配の時代は幕開けを迎えた。

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気になるのであればテレビの前で送られてくる情報がどんな感情に訴えているのかメモを取りながらみてみるがいい。言語化することにより感情は理性の検閲を受ける。ちまたには危険な感情報道があふれていることがわかる。しかしだからといって理性だけでは感情を制御できない。そもそも感情は人が生きるために必要な能力なのだから。

対抗の手段は、感情を否定し抑圧するのではなく、判断を研ぎ澄ませ、感情の錯覚をたくみに避けながらその先手を打つしかない。そのためにはあざとい感情支配を見抜けるだけのより豊かな感情が必要となる。そして感情を豊かにし、現実とのブレを補正できるのは「生きた経験」のみである。


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