[KOK 0255] こくら日記のトップページにとぶ 05 Mar 2005

三者関係

 

前回は女性向け青年コミックが主たるテーマとする性愛について書いてみたが、実は一番興味深かったのは、その内容ではなく、これだけ限定された設定の中で、同工異曲の物語が量産されていることだった。

簡単に一般論としていえるのかどうかは難しいところだが、男性向けマンガと女性向けマンガを比べると物語の題材や設定・背景・テーマは、おおむね男性向けマンガのほうが多様で広いように思える。それにくらべ多くの女性向けマンガの舞台は日常的な世界をあまり離れない。

だからといって女性向けマンガの視野が狭いとかつまらないとかいうつもりは決してない。むしろ語られているストーリーはよりややこしくて難しいし、登場人物の表情や心理描写も細かく面白い。男性向けマンガと女性向けマンガでは、物語の面白さが目指しているものが違うように感じる。どこにその原因があるのだろう。

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読みながらはたと気づいたのは、他者間関係の描き方の違いである。女性向けマンガが好んであつかう題材ではたいてい三者関係が絡んでいる。たとえば私と彼と元彼のような(この場合、彼と元彼は同等にあつかわれる)。それに対し男性向けマンガはどんなに設定が壮大でも、しばしば語られている内容が二者関係に集約されてしまいがちである。

女性向けマンガの場合、極端な話、登場人物が三人でも十分に面白い話が成り立つだろう。しかし正義と悪がそれぞれ一人ずつしかいない登場人物二人の二者関係の物語なんてどう考えても面白くなさそうだ。また男性向けマンガでも、たとえばいわゆるラブコメのような作品では、三者関係が描かれていることがある。しかし、これもほとんどの場合あらかじめ彼と彼女とライバルの役割が固定的であり、結局は二者の問題に置き換えられ、三者関係がもつ緊張は毒消されている。

二者関係では対立か共存くらいしか物語が生まれる余地はないが、三者関係ではそれに連合、裏切り、三すくみが加わる。登場人物の関係性がわかりにくくなるかわりにヴァリエーションは飛躍的に増え、ストーリーに葛藤が生まれる。

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あるいは二者関係と三者関係の違いはブロック建築と木造建築の比喩で説明できるかもしれない。ブロック建築は二次元的な単純な積み重ねだけでどんどん巨大な建物を作ることができるが、木造建築は木材の三次元的組み合わせのため、構造は複雑であるがサイズには限界がある。つまり二者関係は痴話喧嘩から宇宙戦争まで同じ構造のまま物語を作ることができるが、三者関係では舞台を大きくするたびに物語の構造を変えなければならない。

ここで性差を持ち出すのはさらに危険だろう。しかし、あえて書くと、他者間関係の認知能力には、どこかしら男女差があるのではないだろうかという気がする。女性向けに作られた作品は、物事が二者間で決まることはほとんどなく、第三者の存在が大きな鍵を握っており、第三者の登場によって物語は紆余曲折する。読者は第三者の役割を理解できるし、そういう物語を好んでいる。このぐちゃぐちゃが楽しいのだ。それに対して男性向けに作られた作品ではわかりやすくシンプルな二者関係が好まれるようだ。

もちろん性差をいう前に、それ以上の個人差はあると思う。性差とはあくまでも統計的な結果であり、個々の人の認知能力や嗜好の違いは性差よりも大きいはずだ。これまた乱暴だが、たとえば、ハリウッド映画などはおおむね二者関係しかあつかっていないのに対し、フランス映画はけっこう三者関係が重要である気がする(国民性もあるのかな?と思う)。

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いずれにせよ、古今東西さまざまな物語をみるに、われわれの他者間関係にたいする認知は、おおむね二者か三者かというそのあたりに帰着するのであり、それ以上複雑な関係はあまり扱われていない。たぶん人間能力では三者関係より高次な他者間関係にうまく対処できないし理解も説明も困難なのではないかと思う。

さて、蛇足だが最後に、私がこれまで読んだ中でもっとも他者間関係が複雑な物語はなんだったかを思い出してみる。たぶんそれは中里介山の「大菩薩峠」じゃなかったかなと思う。これに夢中になった二十歳の頃、登場人物の机龍之助にあんまり共感できなかったが、今ならだいぶ解るような気がする。少しは大人になったのかもね。


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