[KOK 0257] こくら日記のトップページにとぶ 05 Jun 2005

七色の谷を越えて

 

竹職人にあうために水俣にいった。目的の家は、丁寧に石がつまれた棚田の道をくねくねとたどった先にあった。梅雨前の乾いた風が植えたばかりの苗を揺らしている。屋敷の裏には大木が覆い被さり、崖下には岩からわき出た清水が川となって流れ、ぬめりとゆるむ薄浅葱色の淵にはいくつもの魚影が踊る。

全身が一瞬のうちにとろけてしまいそうな快感が足先から背中に駆け上がった。ああ、きもちいい。旅人の過分な感傷を差し引いても、素直な身体の反応は否定できない。これこそ人が住む場所だと思う。ここに住める人は幸せだと思う。

無何有の郷

無何有の郷、まほろば、桃源郷、ふるさと、村はそんな名で呼ばれることにすっかり慣れてしまっているようだ。「なんもありません、ただとりのこされとるだけの田舎ですもんね」。皮肉にも水俣病という海で起きた惨事が、山の暮らしを開発からとりのこした。とりのこされた村がこんなにも美しいのなら、人は町になにをつくろうとしているのだろう。

竹職人は、ふるさとを作るために町の生活から離れた人だった。ふるさとを作るために自分で生きるすべを学んだ人だった。そして、九州各地を歩きここををふるさとに決めたのである。生きるために。

竹職人

私にもふるさとはあった。うずたかく積まれた薪で火をたき、山から流れ落ちる小川で芋を洗い、土間があり家の中にツバメが巣を造り、二階の屋根裏には広い蚕部屋がある。子供時代の夏を過ごしたそんなふるさとがあった。しかし母方の大伯父が亡くなった時に、その岐阜県と長野県の境にある小さな村との縁は途絶えた。ふるさとが貴重なものだと知る前に私はふるさとを失った。私はそこに生きることはできなかった。

私にはもう帰るべきふるさとはない。

まるでその代償を求めるかのように根無し草の旅を繰り返す。そうして時折おとなう小さな村の一番美味しい上澄みだけをかすめ取る。都会の虚構にまみれた日々をおくる私は、厳しくもゆったりとした暮らしをうらやましいと思いながら、ただそう思うばかりで、なにもしないまま町に逃げ帰る。

帰りに立ち寄った「阿蘇たにびと博物館」の館長もまた、彼の調査地である南阿蘇の谷に根を張ろうとしてた。そんなふうに私が出会ったフィールドのひとつが、いつか私のついの住処になるのだろうか。私は私にとって極上の美しい村にいつか住むことができるのだろうか、それともこうして町と共依存しながらうたかたのように旅を続けるのだろうか。決断するための時間はもうあまりないような気がする。

村芝居

不知火の海から谷を吹き上げる風は「さこ」とよばれる。南九州の風の谷に甘酸っぱい夏休みのにおいがかけていった。


竹職人さんのホームページ

阿蘇たにびと博物館のホームページ

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