[KOK 0278] こくら日記のトップページにとぶ 25 Oct 2006

フィールドという人生

 

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それぞれ2週間ずつの滞在で、足早にソロモンからバヌアツをまわった。日本にいると短い1ヶ月だが、フィールドでの時間はまるでビデオの早回しのように、大量の情報がせきを切って頭の中に入ってくる。こういう仕事をしている人ならば誰しも実感があると思うが、フィールドではいつも10倍くらい濃い時間が過ぎていく。だからまるで数日の体験が、数ヶ月にも感じるのだ。

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ソロモン訪問は実に2000年の国内緊張以降6年ぶり。あらためて驚いたのは、6年も離れていたにもかかわらず、2日もたたないうちにわたしのソロモンピジンがほぼ完璧に戻っていったこと。そして、日本にいるときはすっかり忘れていたのだが、共通語だけでなく、実は私はローカル語であるラウ語をかなり理解しており、日常会話を交わすくらいの能力があったということである。いったいこの記憶は私のどこにしまわれていたのだろう。

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この5年間わたしはバヌアツで調査をしていた、バヌアツの共通語であるビスラマとソロモンの共通語であるピジンはともに英語から派生した混成語で、非常によく似ているが、微妙に違う。たぶん大阪弁と東京弁くらいに語彙や抑揚や慣用句が異なっている。まあ、やや早口でぶっきらぼうなビスラマ語が東京弁ならば、独特な接尾語が多く抑揚が大きいピジン語が大阪弁に相当するだろうか。

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5年間バヌアツにいたにもかかわらず、私の脳の言語野は急速にピジン化し、瞬く間に切り替わった。いったいどんな仕掛けになっているのだろう。一週間後には、まるで日本語で会話をしているのと同じくらいに、ごくふつうに彼らと会話を交わしている自分を発見した。私はピジンがものすごく上手だったのである。

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たしかに、ソロモンは1990年から2000年の11年間にかけて行き来を繰り返し、いわば私の人類学者としての人生を育ててくれた場所である。しかし、私にとってこんなにも身近な場所だったとは、とあらためて驚くのである。本当に申し訳ないことだが、日本にいるときはそうした記憶のほとんどは、折りたたまれてどこかに格納され、なかば忘れかけているのだ。

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かえすがえすも人間の記憶というのは不思議なものだ。記憶は時間と場所の「連続性」と結びついている。断片的な時間は脳の中でのり付けされるまで宙に浮いてしまう。

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いきなり6年ぶりに街であっても知っている人だとわかる。顔を見たとたんに名前と彼とのエピソードが想起される。6年もたてば少年や少女は大人になる、しかし一瞬のうちにその時間を飛び越えて、子ども時代の姿が浮かび、親しい感情が湧き上がる、それは相手も同じことである。

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人に会うたびに私の頭の中で、ずるずると芋づる式に人間関係が繋がっていく。私が滞在した村の出身者は80人ほどが村に住み、60人ほどが首都の街に住んでいる。そのほとんどの人の顔と親族関係を私は知っていた。それだけではない、誰と誰が親しくて、誰が仲が悪く、誰がおどけ者で、誰が欲張りで、誰が尊敬されていて、そんなパーソナリティも正確に理解していた。6年たった今もその記憶はすこしも間違ってはいなかった。

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もちろん2000年以降も彼らは連続した時間の中で生きている、私がいた時間も彼らの記憶の中では一連の時間軸の上に繋がっている。しかし、一方で私の記憶は、日本やイギリスやバヌアツの生活によって何度も断片化されている。それぞれの場所で別の濃厚な人間関係の中で生きている。それでも、どこかに隠された記憶が、その断片を必死に埋めるようと働きはじめるのだ。

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言葉や人間関係だけではない、しぐさや、常識や、自分の立場や、あり得べき振る舞い、人々を笑わせる方法などなど、ソロモンの日差しに照らされるうちに、そうした作法のすべてがセットになってよみがえる。

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街に住む村人たちは私の突然の登場に喜び、毎日毎晩それぞれ別々の家で怒濤のような歓迎会を開いてくれた。島にはすでにメッセージが届いており、歓迎の準備が進められているという。船に乗って往復すれば島には4日でいけるはずだ。しかしソロモンはまだ内政が不安定で、島に渡る船のあてはなかった。

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これまで私はフィールドにいられたのは、自分の努力と苦労と、少しは才能の結果だと漠然と思っていた。しかし今回は、ちょっと客観的に、彼らがどのように私を見ていたのか、そんなことをしばしば考えた。私は島の子だったのだ。いろいろありながらも私がソロモンでとても快適に暮らすことができたのは、彼らもまた私に対して献身的な努力をしていたからだったのだ。何もわからない異文化の若者を、忍耐強く支えてくれていたのだ。

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いい人のところにはいい人が来る。悪い人のところには悪い人が集まる。できれば私はいい人になりたかった。村の人々は私をいい人にするために一生懸命助けてくれていたのだ。今、もし私が日本でもいい人なのだとすれば、それは多分にソロモンの家族たちのおかげである。

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人類学はひとりでたくさんの人生を生きる、贅沢な人生なのだと思う。たくさんの人の記憶の中で私は生きている。確かに若い頃の私がそこに生きていたということをみなが証明してくれる。

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あわただしい訪問を終え、島に渡ることもできぬままソロモンをはなれ、バヌアツに飛ぶ。さらに、もう一つの人生がはじまる。

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