「昔といってもずいぶん昔じゃ。なにしろワニガロがこの村の首長だった頃の話じゃからのう」
■ワニガロというのは10世代前の首長の名である。
「海の口があいた・・・。もっとも、はじめはだれもそれが海の口じゃとは思いもしなかった。じゃからいつから海の口があいたのかはわからない」
「海の口ですか・・・?」
「たとえば、ほらそこの木の下に落ちているヤシの実のかけらじゃとか、空の雲じゃとか。いつからそこにあるかだれも知らんじゃろ。海の口もそういうもんじゃった。名前がなかったんじゃ。
海の口に気づいたのはうらない婆のオシアブじゃった。オシアブは海の口があいているのを村人に教え、その時はじめて村人は海の口があいているのに気づいたんじゃな。海の口はときどき開いてはまた閉じ、ながいこと閉じていると思うと開いたりした。そうして何年も何年もたった。
ところがじゃ。ある暑い年のこと、海の口がどんどんどんどん大きくなっての。村中は大騒ぎじゃ。うらない婆のオシアブは首長ワニガロに村人全員をあつめさせた。
『海の口が村を食べにやってきた。みなのもの海の口をおそれよ。ただちに、かまどの火を消し水瓶の水を捨て、これより7日のあいだ山に身をひそめよ』
村人はそれを聞くなり自分の家にとんでかえり、かまどの火を消し水瓶の水を捨て、山の中に逃げはじめた。そんな間にも海の口はどんどん大きくなってのう。村人が全員山の中にかくれおえたとき、ちょうど海の口は村の前の浜までやってきて、止まったんじゃ」
「止まったんですか?」
「そうじゃ、止まったんじゃよ」
■それまで海の口を、津波のような自然現象だと考ていた私は、意外な展開に思わず話のこしをおった。ひと息ついてオイウ老人は、手に持ったナイフでタバコを小さくきざみはじめた。人の気配にあたりを見まわすと、私と老人のいるアバロロの木の後ろにいつのまにか子供が3人すわっていた。子供たちはおとなしくオイウ老人のはなしに聞き入っているようすだった。
「海の口は・・・ほら見えるじゃろ。その石垣のむこうにある浜。今の首長の家の前の・・・あそこで止まったんじゃ。
そして、海の口の中からマエラシがでてきた」
「マエラシ?」