「ほっほっほ。タケや、おまえさんがマエラシの話をきいて、白人のことを言いだすのは判っておったよ。わしだって若い頃そう考えておったことがあるでのう。だが世の中の『本当の話』はどうも違うようじゃの」
■オイウ老人はものわかりの悪い私に辛抱づよくつきあってくれていたのだ。唐突にはじまったように思えたワニガロの物語も、『本当の話』を説明するために周到に持ち出されたものだったとは。私はまんまと老人の計略にひっかかり、期待どおりの反応をしてしまったようであった。そして、私の考える『本当の話』がここではまったく通じないのだということが、ようやくわかりかけてきた。
「ところで・・・」
■私はくやしまぎれに、ワニガロの物語の中でさきほどから気になっていたことを質問することにした。
「この物語に出てきた、女のマエラシはその後どうなったんですか?」
「ほほほほ。それを話すのを忘れておった。女のマエラシはワニガロとファルの家のお手伝いさんになった」
「お手伝いさん!」
「そう、お手伝いさんになって、料理をしたり、子供の世話をしたり、庭を掃除したりして村に住みつづけたんじゃ。そうして、いつのまにか死んでしまったよ。きっと煙が切れたんじゃろう」
「でもどうしてこの女のマエラシはワニガロを助けたんでしょうね」
「さてね、それはわからんの。これは勇者ワニガロの物語であって、女のマエラシの話ではないからのう。石のように見える蛸は、石ではなく蛸なんじゃ。」
■私は村に伝えられているいくつもの物語のことを考えた。そうした物語は村のニュースや娯楽であるのと同時に、歴史でもあった。
■『日本からきた男タケが海に行き髪の毛がガチガチになった物語』は、この先いつまで語り継がれていくのだろうか。その物語の中で私は海の暑さに疲れはてカヌーに横たわり眠るのである。もちろんそれは『日本からきた男タケが髪の毛をガチガチにするために海水を頭からかぶる物語』であってもよかったのかもしれない。しかし、この物語が伝えているものは、私が逆立つ髪の毛にあたふたしていた、そのことなのだ。
■そしてマエラシの手から美しい娘を救った物語もまた、ワニガロの時代の歴史なのである。もし、オイウ老人の教えを受けずにこの話を聞いていたならば、私はその日のフィールドノートに喜んでこう記したことだろう。
「10世代前(ワニガロ)に白人がきたことを示唆する物語が残っている。その際チーフは白人と戦い、髪の長い女(ポリネシア系か)を助けだし子孫を残している。(オイウ談)」あるいはこの物語の構造分析でもして、そのフロイト的解釈に頭をめぐらせていたかもしれない。私にとって『本当の話』というのはそういうたぐいのものだったのだ。
■しかし、蛸はいくら石のように見えても石ではない、オイウ老人はそう言った。蛸とりをする漁師はやみくもに石を銛でさして、蛸をとっているわけではない。私がさぐろうとしていた『本当の話』は石だったのだろうか蛸だったのだろうか。
■隣にすわるオイウ老人は目をとじて小さな体をゆすっている、まるで波や風と戯れているようだ。アバロロの木の下はひんやりとして涼しい。私は村の日常の深みにどんどんはまっていく自分を感じていた。しかし正直なところ、一方でそういう自分を楽しんでもいた。
■おそらく、一緒に物語をきいていた子供たちのように、オイウ老人が『本当の話』を語りおえたらさっさとその場を立ち去るのが正しい態度だったのだ。オイウ老人が語る以上の真実はもうそこにはないのだから。
「オイウ老人、とてもおもしろかったよ。『本当の話』こそまさにそこで起きた歴史なんだね」
■私は丁寧にお礼を言い、その場を辞することにした。
「ほほほほ」オイウ老人はいたずらをした子供のように笑うとこうつけくわえた。「ところでなタケ、もし今のわしの物語が、たまたまわしがこの場で思いついただけのものじゃったらどうする」
■オイウ老人の意外な問いかけに、私はかえす言葉をうしなった。
「わしの話は『嘘』かの、それとも『本当の話』かの?」
■次の日、私は友人のバレに、『勇者ワニガロが髪の長い娘を海の口から助けだした 物語』を知っているかとたずねた。
「勇者ワニガロが戦ったんだって?マエラシね・・・きいたことないな、うん、はじめてきいたよ。でも、もしオイウ老人がそれを語ったんなら、それは本当の話だよ」