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【狂134】しみじみとドラッグする

96/02/22

世界がきれいにみえるキノコなんてというと「なんだかとってもあやしいもの」を想像してしまうかもしれません。でも決してそんなことはありません。精神展開性キノコは清く正しく美しい、ちょっと上品なお友達です。「ほんとかな?」と疑惑の目をもった人は、ぜひとも記事を読んでください。「そうだそうだ」と思ってる人はがんばってキノコを育てましょう。


魚娘の絵 一般に麻薬とよばれているものは、体内に取り込んで脳の状態をかえることのできる物質をさす。この言葉はものすごく悪いイメージを喚起してしまうが、日常的に嗜好品として利用されているお茶やチョコレートなどの向精神物質と、いわゆる麻薬を厳密に区別する境界はどこにもない。したがって、ここでは合法・非合法に関係なく、向精神物質の総称としてドラッグという言葉を用いることにする。世の中にはいろいろなドラッグがある。すべてのドラッグを十把ひとからげに語ることほど無茶な話はない。

おなじ舌神経刺激物質でも砂糖と塩とレモンではまったく作用がちがうように、脳神経刺激物質であるドラッグも多様な効果がある。まずこれが基本である。これらの中にはもちろん、依存症や中毒をおこしてしまう「悪い薬」もあれば、心を安らかにする「良い薬」もある。またおなじドラッグでも服用の量や方法で、あらわれる効果がまったくちがう。

それぞれのドラッグには適度な分量と適度な状況がある。たとえば、いくら甘いものがすきだからといって一度にどんぶり一杯の砂糖を食べる人はいないだろう(いるか?いたら砂糖ジャンキーだ)。それと同じである。以下の論攷では、あるドラッグにふさわしい服用法や作法を総称して「文化」と呼ぶことにする。

われわれが日常的にもっとも頻繁に服用しているドラッグは、お茶やコーヒー(カフェイン)、タバコ(ニコチン酸)、お酒(エチルアルコール)だろう。こうしたドラッグは日本では合法とされているが、だからといって必ずしも安全なものであるとはいえない。たとえば、アルコールは強力な身体的依存症(アル中)をひきおこし、肝臓などの臓器に重大な障害をあたえる。身体的依存症に関しては、コーヒーやタバコでも頻繁に認められる。

そうした危険な薬を常用しながらも、われわれが「まあ」平穏な日常生活をおくることができるのは、ひとえに「文化」によるところが大きい。

日本に最初にお茶をもたらした日本臨済宗の開祖栄西は「喫茶養生記」をしるした。お茶には精神を高揚させる作用がある。ドラッグは一般にアッパー系(興奮剤)とダウナー系(抑制剤)とサイケデリック系(幻覚剤・広義の興奮剤に入れることもある)にわけられるが、カフェインはそのうちのアッパー系に属する。当時の人々にとって、お茶は画期的なドラッグであったにちがいない。

僧侶や貴族を中心としたお茶文化の先達たちは、正しい啓蒙と作法の創設によって、慎重にお茶を日本に導入した。お茶はやがて千利休によって一般化され、庶民の口にもはいるようになった。お茶というドラッグが日本において国家権力から弾圧されることなく、むしろ高度な文化として花開いたのも、こうした先達の努力のたまものである。かれらはもっとも有効にお茶を服用する方法(業界用語でセッティングという)を知っていたのだ。

その逆の例がある、伝統的に酒をのむ習慣がなかった地域で、貨幣経済の浸透ともに急速にアルコールが導入され、人々の生活を破壊しているというのがそれである。わたしが具体的に知っているところでは台湾の蘭嶼とパプアニューギニアがあげられる。彼らにはまず、酒はしかるべき場所でしかるべき時間に飲むものであるという了解がない。あるいは「酒のつまみ」という概念もない。したがって、まるっきりジュースを飲むのとおなじように、ひとりでお金が続くかぎり路上で酒を飲み続けるということをしてしまう。

ニューギニアでは事態を憂慮した政府が酒の販売を制限している。しかし、ヤミで流れる酒をすべてコントロールすることはできない。政治的な抑圧は短期的には効果を上げるが、根本的な問題解決にはならない。今日もニューギニアの男たちはお酒を飲んでスパークしている。彼らに必要なのは酒文化なのである。

話はそれるが、自分の杯にお酒をつがないという日本のしきたりは、本来は酒を強要するためのものではなく、酒の場に煩雑なコミュニケーションを導入することにより、酒量をコントロールするためのものでなかったかと、わたしは考えている。いずれにせよ、醸造酒で培われてきた文化を蒸留酒にもあてはめようとするにはどだい無理がある。個人的にはウイスキーを人からつがれるのは、あまり好きになれない。さらにいえば「俺の酒が飲めないのか」などとほざくバカどもには、酒の場での制裁をくわえてもかまわないと考えている。しみじみ飲めばほろほろ酔うのが正しいお酒ではないだろうか。うんうん、わたしもちょっと大人になったかな。

今のところ「きのこ」という文字がひとつもでていない。ここまでの結論は「世の中にはいろいろなドラッグがある」そして「それを服用する作法(文化・セッティング)というものがまず大事である」という2つの点である。あるドラッグがどうのように作用するのかをきちんと知っておくことは、精神を安全に展開する上で非常に重要なことである。

危険性を知ろう

一般的にドラッグの危険性は、その現れ方によって、おおむね4つに分けられる。「精神的依存症」「身体的依存症」「薬物の毒性による身体(神経)障害」「薬物の効果から二次的に生じる事故」である。

精神的依存症は、そのドラッグを使用することによる心地よさが、忘れられなくなる状態である、たとえばお茶を飲んでくつろぐのが好きであるとか、お酒をみんなで飲む雰囲気が忘れられないとかいったものもここに含まれる。もちろんこうした軽い症状ばかりではなく、その効果が劇的なものであると、必要以上にはまってやめられなくなる(オナニーみたいなもんだな)。ときには鬱病などの精神的なダメージを受けることもあるが、体の異常はともなわないので、多くの場合時間をかければ精神力で解決することが可能である。

身体的依存症はそのドラッグがきれたときにおきる禁断症状をともなう。お酒でいえばアル中にあたる。とくに阿片系統のドラッグに見られる身体的依存症は非常に重篤である。服用を中断すると体の状態まで変わってしまうので、抜け出すのは困難をともなう。この手のドラッグにはあまりはまらないほうがよいと思う。

薬物の毒性による身体あるいは精神障害は、タバコでいえば肺ガン、お酒でいえば肝炎にあたる。「シンナーやって体ぼろぼろ」がこのタイプである。耐性ができやすいドラッグは使用するにつれ量がふえるので、こうした危険性が高い。身体ばかりでなく精神(脳)までやられてしまうと、廃人である。

そして最後は、ラリった状態で転んだり、酔っぱらいが喧嘩をしてけがをするとかいったたぐいの事故である。薬物摂取時には心のあり方が平常時とはことなっているので、こうした危険性も十分考慮に入れなければならない。いやはや、たいへんですねぇ。

こうした危険性は使用するドラッグによってまったくちがうので、こちらの方面に興味がある人は、個々のドラッグについて十分な知識を身につける必要がある。中島らも尊師もいっているが、知っててジャンキーになるのはしかたがないが、知らぬまに(あるいはだまされて)廃人になってしまうのはまったく愚かなことである。

ほかのドラッグについては長くなるのでふれない、各自必要におうじて自習しておいてほしい。とうとつだが、いよいよキノコの話に入る。

※2002/5/7に、「麻薬、向精神薬及び麻薬向精神薬原料を指定する政令の一部を改正する政令」が交付され、同年6/6から「マジックマッシュルーム」が麻薬原料植物として法規制されることが決定しました。したがって現在日本国内ではニライタケを所持・栽培・採集・節食することはできません。


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