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【狂138】お待たせ!キノコ顛末記

96/03/01

お待たせしましたキノコセッション顛末記です(笑)。セッションというよりパーティかな、というより飲菌会(発音しないように;;;;)ってかんじかな(笑)。

最初に予定していた通り2月17日の5時から会は開かれました。参加者は女5名・男4名の合計9名。参加者のプライバシーを重視し、以下匿名で、座席順にGくん、Aちゃん、Nくん、Kちゃん、Jちゃん、Yちゃん、Bくん、Tちゃん、Dくん。と呼びならわすことにいたしましょう(ちなみにBは弁髪のBです)。

今になって告白しますと、主催者(お茶の言葉でいえば主人)のわたしは、セッションの前にいくつかの不安がありました。わたしのキノコ経験値が、過去4回とあまり高くないこと(うち2回はちゃんといけず)。9人なんていう大人数で、キノコを食べたことが今までなかったこと(しかもそのうち7人が初心者)。参加者はわたしをとおしてしか面識がないこと(もちろん、少なくともわたし以外にひとりは知り合いがいるようには人選しましたが)。そして、「かけない論文」やら「さよなら京都」やら「お仕事こまったな」やら「季節性躁」などの爆弾をわたし自身がかかえていたことです(ふふふ、知らなかっただろ)。しかもその日は裏日本の方から「邪悪」な雲がのびていました(笑)。

しかし、実際にはじめてみると、とってもいい雰囲気でした。国際キノコ検定ではわたしよりも上級のYちゃんが持ってきてくれた、ピンク色の鉢植えのチューリップが、みごとにカーテンの色とリンクして「いけるいける」という予感を支えてくれました。会場となったGくんの部屋は、とってもこじんまりとして、照明の感じもよくて、壁にはかわいいバリ島の娘たちの写真がありました。

使ったキノコの量は乾燥重量にして6グラムのニライタケ(干しニライ)。それを9人でわけるわけですから、ひとり平均0.75グラム(スプーン小さじ3/4)。この分量をしいてお酒のイメージで換算すれば、ビールをコップ一杯程度の軽い量です。それをすりばちでごりごり削って粉末にして、コップに入れたお湯に溶かして静かにいただきました。まるでお茶会です。

キノコの味は、とくになんということもない、かれたかんじのスープです。前にも書きましたがちょっと塩味です。生で食べたりするとややえぐかったりもするのですが、よく乾燥された干しニライは、重量が生の10分の1なので、使う量も少なくてすみます。そのままたべても気になりません。

日本精神展開性菌類研究所との申し合わせにより、最低限の知識を持ってもらった上でセッションをしようということだったので、みなさんにはあらかじめ狂電をつうじてドラッグの一般的な話をしておきました。ちょっと怖い話も書いたので、びびっていた人もいたかもしれません。しかし、まあ本番ではできるだけ安心できるほうがいいのです。キノコは上品なドラッグなので、ちゃんとわかっていればそんなに心配することはありません。机の上に甘いお菓子をならべて、わきあいあいとキノコスープを飲みました。

はじめてのキノコ経験は、のちのちのキノコライフに大きな影響をあたえるので、なるべく軽めからはじめて、楽しく終わった方がよいようです。また、経験をかさねるごとに「いけるこつ」みたいなものがわかってきて、簡単にすてきなキノコ感覚にはいれるといわれています。(このへんはセックスと同じですね)もちろん、好きな人とすることも大切です。

実のところちょっと少なかったかなという気もしたのですが、最初はこのくらいが適量でしょう。(キノコの)経験豊かなYちゃんは、30分くらいして、自分の好きな姿勢になって、いけるモードにはいりました。ほかの人はちょっと緊張気味でしたが、「ぜんぜんきかないぞ」なんて、おしゃべりをしていました。ききめは食べた量と食べた人の体重に関係しますから、NくんとGくんにはききにくかったかもしれません。

このあたりから、わたしの記述は、やや一般的な客観性を逸脱してしまいますが、どうかお許しください。意識や思考は、わりとしっかりしていて、もどろうと思えばいつでももどれるのです。ただ、たとえもどってもいささか逸脱しているのがこまりものです。

みんなを緊張させてはいけないというプレッシャーでしょうか、あるいは、なかなかきかない人への過剰なサービス精神の現れでしょうか、わたしはやや饒舌になっていきました。心の中ではいつでもいけるぞ、と思いながら、一方でセーブしている感じです。ただ、そうはいうものの、ポロリポロリとキノコ状態が漏れでてしまいますので、ほかの人からはぜんぜん踏みとどまってようには見えなかっただろうと思います。

やがて、笑いフェーズがやってきました。あとでBくんがいっていましたが、ちょうどテツマン(徹夜麻雀)なんかしている時になんだか知らないけどやたら笑えてくるときってありますね。あんな感じです。口ではみんななんともないようなことをいっていますが、どうも変です(みんな幻覚を期待しすぎているようでした。視覚変容はむしろおくれてくるのがふつうです)。いつも天然のぼけをかますKちゃんが、絶好調にぼけまくっています。Aちゃんは笑い転げています。このときわたしは、Aちゃんにものすごい強烈なシンパシー(共感)を感じましたので、「自動的に」笑いました。

笑いの根源がBくんから発せられていることがわかりました。どうやらBくんから発せられた笑いのエーテルみたいなものが、みんなの頭の中にそそぎ込まれて、あまってあふれたのが、全部わたしに向かってきているようです。わたしは、この真実をすぐにみんなに伝えようとしましたが、ちゃんと説明できずに困りました。

テレビでは奇妙なキノコドラマをやっていました。これは、幻覚ではなく本当に放送していたはずです。主人公たちが山に遊びにいくとなんの脈絡もなくキノコがお菓子に変わったりするのです。音声を消していたためにまったく意味不明でした。繰り返しますがこの放送は本当にあったはずです。ただ、なぜこんなときにこのような変な番組をやっていたのか、その意味は深遠でした。はじめは邪悪なものかもしれないと思いましたが、どうもそうではないようでした。わたしの対角線にはJちゃんがにこにこしていました。Jちゃんの存在はみんなを守る柱のようでした。反対側の柱がわたしです。

Yさんは横になって気持ちよさそうにみんなをリードしています。わたしは、持っていたケロちゃん人形に、精神をのせて、人々を見にいこうとしましたが、キノコが少なかったせいか、なかなかそれに成功しませんでした。ケロちゃんはつやつやしていまにも動きだしそうでした。そのころにはわたしも「もうがまんできないから、すこしいっちゃうね」という感じだったので、部屋の角の本棚の隙間のところ(実ははじめから目をつけていた)で体を横たえて、ちょっと一休みです。体の動きもアンニュイです。部屋主のGくんは、かいがいしく人々の世話をしていて、なかなかキノコ状態にはいれないようです。ごめんねごめんねと、いちおう念波で謝っておいてから、キノコに身をまかせました。

部屋を少しくらくして、こたつの上に鉢植えのチューリップをおきました。テレビは照明がわりにつけたままにしてあります。Yさんがもってきた、なんとも気持ちのよい音楽をかけました。お香もたきました。そうこうするうちに、ようやくみんなのところにもキノコがやってきたようです。わたしはとっても安心して部屋の隅でよこになっておりました。

音のひとつひとつがくっきりと聞こえました、心の中で「音楽終わるなよ終わるなよ」と願っていました。さいわいなことに終わるかなっと思うとすぐに次の音楽がはじまるのです。鉢植えのチューリップは、生き生きとして、ゆっくり動いていました。ある瞬間、視界の中はチューリップだけになりました。Yちゃんからの「愛の贈り物」(チューリップのつつみにそう書いてあった)があたりいちめんにふりそそいでいるようでした。電球の青い縁がつやつや光っていました。壁の模様が動いていました。

どのくらいでしょうか?30分くらい?もっと?CDの音楽が止まりました。わたしは、すこしがっかりして、CDをかけにいきましたが、ちょっと失敗して音がなりません。そのうち横になっていたみんなが起きあがったので、電気をつけました。とりあえず一段落といった感じです。ほっとしていたら、だれかがビールを買いにいくといいました。やっぱりみんな根はエタノールジャンキーです。わたしは、余韻でぼうっとしていました。

BくんとNくんはまだまだ続いているようです。男は欲望や幻想に対して比較的しつこいのかもしれません。女性はさっさと現実化しているようでした。

AちゃんとJちゃんが、「ビールを買いに行く」といって部屋を出ました。Tちゃんも「わたしもいく」といって部屋を出ました。そして、Tちゃんはそのまま帰ってきませんでした。

わたしは、キノコ頭でぼんやりとしていましたが、Tちゃんがいなくなったときいてちょっと混乱しました。キノコの時は現実に対して、妙に冷ややかに距離がおけたりするために、ある出来事がどのくらいの重要性をもっているのか判断するのが難しくなります。それが大変なことなのか大したことじゃないのか、ぜんぜんわからないのです。キノコ頭で車を運転するときの危険性もこのへんにあります。自分では大丈夫だと思っても、実際にどのくらい大丈夫なのか、判断する基準がないのです。

しかも思考はいつもよりずっと回転しますから、すぐに物事の意味を考えはじめてしまうのです。わたしは、Tちゃんが帰った意味を考えはじめ、よくない結論に達しました。急いでTちゃんを追いかけるために外にでましたが、そとの景色のきれいなこと。妙な浮揚感につつまれながら、わたしは走っていました。ときどき光にみとれて、なんのために走っているのかわからなくなりました。とくに青い光がいいようもなくきれいです。

わたしはTちゃんを見つけられずに、いったんGくんの家にもどりました。幻覚とかそういうものとはちょっと違うけど、このくらいの時間が、物がいちばんきれいに見えていた頃です。町の灯りや車のライトや、星や月がピカピカしていました。枯れたバナナの葉やゆきずりの黒猫と心をかよわせあいました。脳の中がとてもピュアになっていました。

やがてAちゃんとJちゃんがお酒を買ってもどってきて、いよいよTちゃんがひとりでどこかにいってしまったことが明確になりました。わたしはAちゃんと車で、Tちゃんをさがしにいくことにしました。浮遊感覚と不安でちょっと心がざわざわしていました。たくさんのことが一度にわかりすぎるのです。たとえばもしTちゃんが交通事故で死んじゃったどうしようとか。わたしにだまってでていった本当の理由とか。それなのにいっぽうで危機感がまったくないのです。いろいろ探したのですが、けっきょくTちゃんは見つかりませんでした。

わたしたちがもどって来ると、部屋の中はすでにエタノールモードでした。コップ一杯のビールを飲むと、高邁なキノコの感覚はシュッという感じで一気に消えてしまいました。やっぱりお酒は、品のない乱暴なドラッグです。しかし、同時に不安感や焦燥感もずいぶん消えました。(あとできけば、Tちゃんは友達の家にいっていたようです)。

今回のセッションの収穫と反省

【収穫】
・9人でもいける
・生きている花は、生きているというただそれだけで美しい。
・適当に落ち着いたら、外にでて走ってみるのもいい。

【反省】
・世話役の人はなかなかききにくいので、申し訳なかった。
・キノコ頭の人は意味を理解したがるので、説明なしで物事をすすめない。
・アルコールは天敵である(わかっちゃいるけどやめられない)
・やっぱり車はあぶないんじゃないかな。

※2002/5/7に、「麻薬、向精神薬及び麻薬向精神薬原料を指定する政令の一部を改正する政令」が交付され、同年6/6から「マジックマッシュルーム」が麻薬原料植物として法規制されることが決定しました。したがって現在日本国内ではニライタケを所持・栽培・採集・節食することはできません。


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