村が沈む

98年のクリスマスに滞在したときも、その兆候はすでに現れていたが、わずか一年たらずのうちにこんなことになっていようとは思いもよらなかった。街にいるあいだに村の惨状を聞いていたが、実際にそれを目の当たりするまでなかなか実感がわかなかった。

村が沈んでいる。いや、海が上昇している。昨年の1月に、これまで海水が入ったことのない場所が満潮で浸かった大騒ぎになったのを、ぼくはたまたま目撃している。その後1年かけて、月に2回やってくる大潮のたびに水位は上昇し、村の家々はつぎつぎに浸水していったという。村の南の端に護岸のために積み上げられた石垣が崩れ、伝統的な集会場であるトウヒも波によって倒壊した。海岸近くの台所小屋も半壊し、教会の中も水びたし。海岸線の形は変わり、いたるところで木々が枯れている。

高床になっている住居はまだ被害は少ないが、村内の道はカヌーで横切ることができるほどに海水が入ってきている。きちんと測定したわけではないが、海に浸かった柱の印を基準に推定すると、1999年のわずか1年だけで、少なくとも20センチは海面が上がっている見当になる。

かつてならこれは海の精霊の怒りだとされただろう。精霊の怒りをおさめるためあらゆる呪術が試されたはずだ。しかし、今や村の人の誰もがラジオのワールドニュースを通して「温室効果」という言葉を知っている。そして大国が吐き出した二酸化炭素によってそれがおこり、その結果大気の温度が上昇し低緯度地方の氷が溶け出しているということも。

いったいどうしてこんなに急速に状況が変化したのだろうか。どれほどの氷が溶けたらここまで水面するのだろうか。もしかしたら温室効果以外の別の要因も働いているのかもしれない。海浸は今も満潮のたびに続いている。護岸のための石垣を築こうにも、このままどこまで海面が上がるかすら見極められない状態で立ち往生している。精霊であろうと温室効果であろうと、村の人間の力ではどうしようもないという点では同じことである。

二週間に一度、波が運び込んだ石やゴミが村の中に逆流する。調理中の石焼料理が水に浸かってしまう。目に見えないところで生活の負担は増加している。昨年一年で六人もの村の老人がなくなったのも、もしかしたらこの環境の悪化と関連があるかもしれない。

村ではすでにメインランドに移住する準備を進めている。しかしメインランドの土地は限られており、このままではすべての家族が移ることはできない。いくつかの家族は親族をたよって別の村に分散していくだろう。もともと、北マライタから移住してきたファナレイ村民は、100キロ以上はなれたはるか遠くのラウラグーンに親族を持つ。

村がばらばらになる。六世代続いたファナレイの歴史が終わるかもしれない。

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