【お金ってなんだろ】

「お金なんてただの紙切れだー」といって、札束をばらまくのは、だいたい人生にいやけがさして自暴自棄になったときと相場が決まっております。まっとうな社会生活を続けたいと思うなら、けっしてお金に疑問を持ってはなりません。

「お金」は車やコンピューターのように「それ自身でなにかの役に立つ」というよりは、「流通することによってのみ価値がある」という不思議な存在です。「お金」とよくにたものに「言葉」があります。あなたが、どんなに天才でも、決してひとりだけの言葉をつくることはできません。なぜなら、言葉もまた流通してこそ(複数の人に使われてこそ)はじめて意味があるからです。

コンピュータネットワークではさまざまな言葉(情報)が流通しています。このごろでは電子マネーの実験も進んでいます。そして、こうした動きはだいたいにおいて価値の一元化(統一)を目指しています。しかし、言葉や貨幣が規格化され標準化されることは、単純に便利になったと喜んでいられる現象なのでしょうか?言葉や貨幣のオープン(匿名で自由)な流通はまったく問題ないのでしょうか?

思い出してください、言葉も貨幣も、もともとはそれ自体になんの価値もなかったのです。たまたま(恣意的に)それが選ばれたにすぎないのです。だれが、価値を保証しているのでしょう。あなたが持っている貨幣をだれも受け取ってくれなかったらどうしますか?価値が統一されると言うことは、リスクもまた統一されるということを意味します。タイムラグのない交換には、貨幣の信用の変動を調整するバッファー(緩衝剤)がありません。だいじょうぶかな?だんだん不安になってきましたね。

南洋のソロモン諸島では、イルカ歯や貝殻を使った貨幣がいまでも流通しています。だからといって、彼らが遅れているのだと考えるのは大間違いです。なにしろ、複数の貨幣が併存しながら流通しているのですから。むしろ、さまざまな価値体系を操作する能力に関しては、われわれよりも彼らの方がよほどうわてです。いわば、ドルでもマルクでも円でも支払い可能な空港の売店みたいな世界です。

ソロモン諸島の人たちが、どうしてそんなにややこしいことをしているのか。そして、そのややこしい状況を維持するために、どんなくふうをしているのか、そんなお話をいたしましょう。



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