玄之介のこと

[KOK 0007]

11 Sep 1996


無能者のわたしが、関空についたのは、8時30分をまわったころでした。しかし、あろうことか、その日のうちに名古屋にいくことはできなくて、いきなり腰痛をかかえながら夜の大阪をさまようはめになってしまいました。

そして、ようやく宿をきめ、名古屋に電話をして「腰が痛いよう」と話したところ、電話の相手も「腹がいたい」というのです。食あたりではありません。出産です。

翌朝、一番の新幹線で名古屋にむかいました。

生まれたのは名古屋に着いた翌日、9月4日の夕方でした。

玄之介

元気な男の子でした。

名前は玄界灘の一字を使って、「玄之介」です。

まにあってほんとうによかったのですが、生まれたあともわたしは相変わらずの無能者でした。なにしろ平日の昼間から、産婦人科の病室のソファーの上で、ヒゲをのばした色の黒いあやしい目つきの男が、横になってころがっているわけですから。

わたしにできることといったら、なるべく腰に負担をかけないように、そうやって寝ているしかなかったわけです。看護婦さんたちの、恰好のうわさの的になっていたことはいうまでもありません。

なにはともあれ、やれやれです。

*「げんちゃん」と文通したいかたはお返事を。

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Takekawa Daisuke