マスコミの自殺

[KOK 0033]

11 Jan 1997


年越しのペルー問題である

[kok0027]造反有理
日本の報道機関にもいいたい、人道的問題をどうのこうのといったり、今後の展開したり顔で予測する前に、もっと報道すべきことがあるだろう。トゥパク・アマル革命運動(MRTA)とはどういう組織なのか、なにをめざしているのか、もっと知りたい。オウムの時もそうだった。オウムがどんな組織で、なにを目的とし、なぜいまだにおおくの信者を惹きつけるのか、もうすこしまじめに調べてくれ。

書くのがおくれたが、1月8日の寒い朝、新聞を手にすると、いきなり「テレ朝系記者を拘束」の見出しが目に飛び込んできた。

「おお、拘束されたか。トゥパク・アマル側もずいぶん追いつめられてるなぁ。しかし報道陣を人質にしたらまずいよな」と思って記事を読むと、記者を拘束したのはペルーの警察当局だった。「それならわかる」。よくみると見出しの上にもちいさく「ペルー当局」と書いてある。ペルー当局に対する配慮からか、スポーツ新聞の見出しのような、なんとも姑息な書き方である。

当局側の強引ともいえる拘束に、当然マスコミ側はいっせいに反発するものと思っていた。

ところが、その後のマスコミの反応は、彼らに冷たかった。いわく、ルール違反の取材は人質の生命の危険をおびやかす。政府の交渉を妨害することは、事件の平和的解決を妨げる。犯人のメディア利用戦略にはまっている。

なにいってるんだろ?

日本の外務省は便乗し、テレビ朝日関係者の対策本部立ち入りを禁止した。まあ、当局側がピリピリするのはよくわかる。ペルー政府の対応も当然だ。

しかし、信じられないのはその当局側の見解を追認するような、各マスコミの反応だ。これまでのMRTAの対応をみれば、「マスコミの取材が人質の生命の危険をおびやかす」とはとうてい思えない。オウムの時と同じように過剰に危険性をいいたてて情報をコントロールしようとする、権力側にありがちな手法だ(まあジャーナリズムもひとつの権力だけどねぇ)。

「犯人のメディア利用戦略にはまってる」なんていう論調は、まさにマスコミ自殺論である。双方の意見を聞き、それをもとに独自の判断で情報を流すのがマスコミの仕事だろ?(おっ正論だ!)当局側からの公式見解を一方的に垂れ流すだけなら「犬」でもできる。メディア利用戦略にはまりそうなら、そうならないように記事を書けばいいし。犯人の主張にも理があるのなら宣伝してやればいいじゃないか。

戦時中に「国民の利益に反し敵に利する」という理由で、当局のいわれるままに「自主的な」報道管制をしき、愚民を愚弄しつづけた愚挙を、マスコミはふたたび繰り返すのか。

広島ホームテレビの人見剛史記者には、「とりあえず、バカだがよくやった(地雷を踏んだらサヨウナラだぞぉ)」とあたたかく迎えてやりたい。また、人見記者も、当局および会社側の弾圧におじず、自分でみききした真実を語ってほしい。

とくに、わたしが知りたいのは、公邸の中でおこなわれている麻雀大会の勝ち負けである。わずかな情報しかもれ出てこないが、おそらくひとり負けして相当しずんでる人質もいるはずだ。こうした人質が、でかいを手ばかりねらって、無謀な振り込みをくりかえさないか心配である。

負けがこんでるときこそ、堅い手で着実に勝ちをかさね、運を引き寄せることが大切である。できることならそう伝えたい。

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Takekawa Daisuke