愛の島へ

[KOK 0041]

15 Feb 1997


2月13日、14日と小倉北区の藍島にいきました。北九州フィールドワーク研究会です。参加者は、愛の仙人こと須藤@社会学、愛の導師こと重信@民俗学、愛の奴隷こと竹川@人類学ほか34名の愛の学徒たちでありました。

藍島

藍島は小倉駅のすぐ裏からでる渡船にのって約30分のところにあるが、ここは、かなりおもしろい場所でした。

船は一日三回だけ往復し、街からちかいわりには、非常に離島の雰囲気をもってます。島は一時間ちょっとでひととおり見て回れる大きさで、人々はおもに漁業をなりわいにしております。冬の風にちょっとさみしげな集落は、ナンバープレートのない軽自動車と、フリーなネコたちと、路地から突然あらわれる老人たちの天国でした。

そもそも、われわれが泊まったのは、「はまや」という民宿で、この宿の主人の浜崎俊和さんがまずもってすごかった。当年69歳でありながら、まったく歳を感じさせないお元気さで、各地のマラソン大会に出場するランナーであり、藍島走ろう会の会長さんでもあります。

いわば島の顔役といった感じの人で、藍島の郵便局長をながらくつとめ、毎日小倉の中央郵便局と島を往復し、島民あて郵便物とともに、街の最新情報を収集し、人々の玄関口までそれをとどけるというお仕事もされております。それは、まるで民俗学の教科書に出てくるような、まさに情報メディア論の原点をいく、たいへん感動的なおはなしでした。

さらに宴たけなわには、浜崎さんみずから外国製のアコーデオンを持ち出し、ハーモニカを口にくわえ、演奏をはじめました。きけば小倉の芸能大会に出場なされたこともあるとかで、いわば島の芸能人です。演奏もすでに素人の域をこえております。

藍島

なんでも、昭和25年、テレビ放送も開始されておらず、当然、島にはなんの娯楽もなかったその時代に、それではと、はじめたのがこの手風琴だったとか。以後昭和35年にはヤマハの音楽教室に通い、さらにいちだんと腕を上げ、今にいたっているとのことでした。

とにかく、浜崎さんはあと30年はこのまま現役で走り続けるとのことでした。

さて、真冬の平日に泊まる者もないそんな民宿を、われわれは完全に借り切り、幸せな一晩をすごしたわけです。泊まるとことは三棟もありキャパシティは充分です。夜は小倉からうまい酒を持ち込み、日本海の新鮮な魚をつつきながら、朝まで男と女のフィールドワーク談義です。(中略)

翌朝は、7時の船をのがすと13時30分まで次の船はありません。二日酔いで重い頭をかかえながら、昼過ぎまで島の中をフィールドワークの実践です。私はおもに海岸部にいき、貝・ワカメ・ウニ類の狩猟採集とその分配と摂食をレクチャーしました。とてもいい磯が続いています。

藍島

集落の中もたくさんのふしぎな神社や、道行く老人の話など、おもしろいことが山積みでした。

ちょうど手頃な大きさで、がんばればここから大学に通うことも可能です。来年はぜひとも私のゼミ生のひとりをここに住まわせたいと考えています。

それと夏にはぜひテントをもって海で遊びたいですね。

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Takekawa Daisuke