いとうづゆうえん

[KOK 0094]

30 Nov 1998


博物館学実習の引率で30人の受講生と「いとうづゆうえん(到津遊園)」にいった。「いとうづゆうえん」は博物館施設であり北九州を代表する動物園である。


わたしは動物園が好きである。むろん、野生の動物を本来の自然環境から切り離して、見せ物にするために飼育することにたいしては、さまざまな批判があるのは知っているが、それでもやっぱりわたしは動物園が好きである。

なにしろ、幼少の頃から一貫して好きなのである。動物園は想像の源泉だった。物語にでてくるどんな架空の動物も、しょせん現実の動物を焼き直して創られたものである。人間の空想はそれほど自由ではない。センダックの絵本にでてくるような怪獣や化け物も、幼い頃のわたしにとってはゾウやキリンとまったく同列であった。

名古屋で浪人していたとき、予備校にいく途中に動物園があった。地下鉄を途中で降りて、授業をさぼって、ひとりで動物園ですごす一日が好きだった。とくに秋の、平日の、夕方の、閉館まぎわの、お客さんがみんな帰ってしまったあとのひそやかな時間を、動物たちのやるせない咆哮に囲まれながら惜しむ瞬間が忘れられない。

新しい土地にいくたびに時間があると動物園をまわった。中国の南寧ではパンダが薄汚れた檻の中でぞんざいに竹を食べていた。マレーシアのクアラルンプールでは、人と動物の境界が低く、手の届くようなところにキリンがいた。遊具の列車で動物園をまわるアイデアもおもしろかった。

そんなわたしにとって、「いとうづゆうえん」は小さいながらも、魅力的な動物園である。園自体が戸畑区の南につづく一連の森の中に埋もれており、樹齢を重ねた大木が園内に立ち並ぶ。そしてその小高い丘の斜面に沿って、リズミカルに動物たちが配置されているのがいい。入園料さえ気にならなければ、ぼーっと時間をつぶすのにはもってこいの場所である。

今回は、なかば大学の仕事で「いとうづゆうえん」を訪ねたのだが、おかげで園長の岩野俊郎さんとお話しする機会を得ることができた。岩野さんは、いちど話し始めたら一つの話題で30分間はとまらないとても熱心でおもしろい人だった。そして、彼はもともと獣医の資格を持つ飼育畑の人間でありながら、一方で園長としてこれからの動物園のあり方を「するどく」考えている人なのであった。

「日本のどこの動物園でも、キリンとゾウとシマウマと一通りの定番動物がいるけれども、ほんとうにそれでいいのだろうか」と岩野さんはいう。「その点、水族館は進んでいる。それぞれの水族館が展示に工夫をしながら独自のコンセプトで館の特徴をだしている」。もちろん種の繁殖や研究センターを担う核になる大きな動物園は必要ではあるが、地方の小さな動物園はもっとユニークな試みをすべきではないかと岩野さんは考える。たとえば、有袋類しかいなくても、それはそれでりっぱな動物園じゃないかと。

あるいは、動物園は遊びの場所としてだけではなく、もっと教育や学習の場所として博物館のようなものと融合していくのはどうだろうか。今年の夏に、福岡市博物館で「人体の不思議展」というプラスティネーション標本の展覧会があった。岩野さん自身はこの展覧会の「見せ物」的雰囲気には必ずしも賛同していないが、こういう企画をもっと動物園がしてもいいのではないかと考えている。

動物園側のスタッフも動物の世話をするだけではなく、観客と動物のあいだにたって、専門家しか知らないおもしろい知識をもっと提供できる態勢を整えれば、動物園はさらに魅力的な場所にかわるだろうし、スタッフもやりがいを感じるだろう。そのためには、ぜひ動物学もふくめひろい知識を持った学芸員のような人が必要だと岩野さんはいう。

動物の檻の前にはさまざまな動物紹介のパネルがある、しかしそれを実際にきちんと読んでいる人は少ない。それよりも、声をかけると蘊蓄をかたむけはじめるちょっと怪しい名物案内人のほうがずっと楽しそうだ。そんなおっさん、あるいはおねえさんが、檻の前でうろうろしている動物園をイメージしてほしい。

園内を歩きながら話を続けるうちに、岩野さんが東京の上野動物園にいた頃に、わたしの大学院時代の指導教官である西田利貞さんと知り合いであったことがわかった。岩野さんは、当時東大で助手をしていた西田さんと、房総半島のフィールドにいっしょにニホンザルの調査にいったこともあるという。意外なところで人がつながりさらに話は盛り上がる。

動物園に来る人にとってもっとも大切なことは、実物の動物から受けるインパクトであると岩野さんは語る。「うわーキリンってこんなにでかいんだ」とか「ゾウの皮膚ってゴワゴワなんだ」とか。実際の動物を目の前にしたときの感動は、映像や書物などほかの体験からはえられないものである。

岩野さんは動物に「ひとくさい」芸をさせることには反対であるが、たとえば巨大なシャチがジャンプする瞬間や、鷹匠の腕に鷹が舞い降りてくるシーンなど、その動物が本来持っている性質を、お客さんに驚いてもらえる仕掛けをつくりたいと考えている。

実際に「いとうづゆうえん」では動物と人間がなるべく近づけるように檻の配置を工夫し、病気などのトラブルがおきない範囲で動物に餌をやることも許されている。ゾウや巨大海獣オタリアに手ずから餌をやるのはなかなかに恐ろしい体験だ。霊長類舎に上る階段ではキリンの顔が真横からのぞきこむ。

それ以外にも「いとうづゆうえん」は、手狭な土地と苦しい予算の中で、ほかの動物園に類をみないユニークな展示を試みている。たとえば、子供たちが小動物と遊べる「ふれあい動物園」。ロバ乗りはいつだって子供に大人気だが、ロバはいつだって悲しい顔をしている、それは苦役に疲れた姿なのだろうか、それともロバという生き物がそもそもそういう奴なのか。目の前の動物は人にさまざまな思いを抱かせる。

あるいは、格子越しではなく、巨大な籠の中にみずから入って鳥を観察できる「バードハウス」。そこではフラミンゴやコウノトリたちが階層的に生活の場所を住みわけている姿を見ることができる。

そして、わたしが一番好きなのが、門から入って左手の静かな丘の上にある「夜行性どうぶつ生態園」である。そこでは園内の大木をそのまま大きな檻で包んで、自然状態を残した形で野生動物を飼育している。ムササビの生態飼育をしている動物園は全国でもここしかないという。しかも昨年は、ムササビの繁殖に成功したというのだから、これはもっと高く評価されてもよい。

むろん夜行動物である、昼間に見てもどこかに隠れてでてこない。フクロウ・ムササビ・ハリネズミ・アナウサギ・ノウサギ、たとえ姿が見えても寝ているだけである。だから「いとうづゆうえん」では動物園を夜ひらく(圭子の夢も夜ひらく)。「夜の動物探険ツアー」は第2,第4土曜日夜開催定員100名要予約、夏休みは毎日開催である。檻の中に仕掛けられた赤外線カメラを通して、ムササビの飛行を観察することができる。そりゃもう楽しいのである。

しかし、いくらわたしが高く評価しても、いかんせんやはり地味である。動物園マニアには受けるかもしれないが、こうした試みで一般客を増すことは、はっきりって難しいだろう。そこがなんとも悔しい。「いとうづゆうえん」は西日本鉄道株式会社(西鉄)が経営する私立の動物園である。全国的に地方の動物園の廃合がすすむなか、「いとうづゆうえん」のおかれている状況は厳しい。

実は、西鉄はすでに「いとうづゆうえん」の閉園を決定している。幸い、全市民的な運動がもりあがり、園はそのまま北九州市が買い上げることになった。今後も岩野さんが園長を継続するのかどうかはわたしは知らない。ただ、市の動物園になったときに、岩野さんが夢みていたような企画が実現できれば楽しいだろうなと思う。

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