退化人類研究所「カボチャドキヤ」

[KOK 0123]

29 Nov 1999


トーナス=カボチャラダムス氏が主任研究員をしておられる、退化人類研究所「カボチャドキヤ」を訪ねたのである。

氏の提唱される空想建築に基づき手ずから設計されたカボチャ型のアトリエの中で、おいしいお茶を飲みながらお話しをしたのである。

まずは人類退化について。トーナス氏は今西錦司の進化論なども援用しつつ、独自の理論を編み出したのである。進化と退化は裏表なのである。立つべくして立った人類は、座るべくして座るのである。

氏の唱える退化とは、決して現代社会が堕落し荒廃した結果の未来形態ではない。もし、そのように理解されたとすれば大いなる誤解である。あるいは単純な原始回帰ととらえるのも誤りである。

むしろ、退化とは、人類の頭脳が「万能の阿呆」化することによって、人間の身体と文化を変容していく過程であると氏は考えるのである。生物的な退化と文化的な退化は同調するのである。

のろまでとんまなかぼちゃ人こそが、氏の退化理論を体現した新しい人類像である。かぼちゃ人にとって飯と風呂と芸能こそが文化の源泉である。そして身福と心福と金福が1:2:10の割合で交換される互酬的な多元的価値世界こそ、かぼちゃ人が創りあげる「小さな世界」なのである。(※ディズニーランド的「小さな世界」との対称的な違いに注目せよ)

そして氏の意識の中で門司港の街は、いわばひとつの「かぼちゃ=マイクロコスモス」としてモデル化される。山と海に囲まれた小さな空間の中に、人間に必要なものがすべてそろっている。氏の描く絵には、しばしば島が登場する。歩いて簡単に交通できるほどのサイズの閉じた宇宙。門司港という街は彼にとってはそんな島のひとつなのである。

氏の絵をよく見てほしい、平民食堂、傘修理の大学病院、中央市場、山形屋、萬龍、かぼちゃ宇宙を構成するあらゆる窓が、すべて門司港の現実に存在する生きた世界とつながっている。驚くべきことに、傘修理の大学病院では、ぼくが門司港を訪れたその日にも、あの絵の通りに傘を直すおじいさんが、土間に座って仕事をしていたのである。

門司港では今、さかんにレトロ地区の観光化を進められているが、トーナス氏は決して門司港レトロを描かない。道を一本はさんで海側に展開するテーマパーク的レトロ空間は、「平民食堂」的レトロ空間とは、似て非なるものであり、すでに異空間といってよい。

去勢され標本化されたレトロ地区が、その見かけの派手さとは裏腹に、いかにも陳腐で矮小なハリボテにすぎないことを、氏は見抜いている。トーナス氏は、門司港の街の正しい愛し方を知っている人なのである。

そして帰り際、タコの干物をいただいたのである。氏の名著「かぼちゃ人類学入門」によれば、お金では買うことのできないあのタコの干物なのである。その日、タコの干物と引き替えに、ぼくは何をトーナス氏と交換したのだろうか?心福だろうか?

【参考文献】
「かぼちゃ人類学入門」川原田徹 著・福音館書店「たくさんの不思議特選集」

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Takekawa Daisuke