英語のつぼ

[KOK 0163]

25 May 2001


オックスフォードの英語教室はどこも日本人ばかりだという。日本人は真面目で熱心なのだけど、どういうわけかなかなか上達しない。語彙はみなそこそこ持っている。一番のネックは聞き取りと発音である。

この原因は中学から高校の6年間の英語教育にあるように思う。こと発音に関しては、この6年間はない方がましなくらいだ。日本の学校の教室では、教師も生徒同士も日本語発音の英語でやりとりをする。これが体に染みついてしまう。たまに海外から戻ってきて綺麗な発音ができる子がいても、やがて授業中は日本語英語を使うようになる。

日本の英語教育はまるで江戸時代の漢文教育のようだ。言葉を文字中心に一種の記号として考え、それを解読することを勉強として位置づける。だから発音はいわゆる「音読み」でもかまわない。ちゃんと構文がとれ読み下しさえできればよい。

それでついつい言葉というものは日常生活のたんなる道具だというごく当たり前のことを忘れてしまう。言葉なんてものは通じればいいのだ。通じない言葉なんていくら覚えても趣味の域をこえないし、そもそも言葉は使わなければ意味がない。

だから「上手に話せるようになるまで外国には行かない」という考えはナンセンスである。外国に行かないのであれば言葉なんて覚えなくてもいいし、行って使えば否応なしに覚える。上手になるのはそのあとでいい。

「英語が大好きなんです」という人がときどきいる。それを自分のアイデンティティみたいにしている人もいる。そういう人に限って、世界には数百を越える言語があるということにまったく気づいていない。いつもアメリカとイギリスばかりに目が向いている。

イギリスでは子供でも英語を話す。これは好きとか嫌いとかいう問題ではない。日本で「英会話が趣味だ」といえばまあ感心されるかもしれないが、イギリスでそんなことをいっても、「それって趣味ちゃうやろ」と笑われるのがおちだ(でも実際にはたぶんイギリス人は笑わない、彼らは人類はみな英語を話せるものだと信じているから笑う前に不思議がる)。

英語教育の抜本的改革。そんなものは簡単だ。日本人の英語教師を全部首にすればよい。英語に限らず、その言葉を母語にしている人といっしょに勉強すれば、これほど効率の良い言語学習はない。ほんとはその国に行くのが一番いいのだけど、そうも言ってられないのでせめて外国人教師を雇う。うーん・・・というより、発音はともかくコミュニケーションの道具として言語を使うという原点をまじめに考えるべきである。通じさせすれば、発音ですらどうでもいいのだ。

ところで、日本語はマイナーな言語だという誤解が世間ではまことしやかに信じられている(さらにこれが不要な英語コンプレックスを生み出している)。しかし、それは大きな誤りであることを最後に指摘しておこう。

日本語は、人口比で言えば世界でも10本の指に入るくらいメジャーな言語である(なにせ1億2千万人もの話し手がいるのだから)、さらに活字出版物の数から言えば世界のトップクラスだろう。あらゆることが母国語だけ表現できるというのは、植民地や小さな言語集団の人たちにとっては夢のような話である。

hasi
クリントン

最後に、前回に引き続きミーハーなネタを。今日、夕方に研究室の近くを歩いていると、道を挟んだ反対側にクリントン(そっくりさんではないと思う)がおりました。さすがにクリントンにはそれなりの警備もついてて、まわりのイギリス人も騒いでいましたが(いやもしかすると騒いでいたのはアメリカ人の観光客かもしれない)。「あれ、クリントン、こんなとこでなにしてんの?」という感じで彼はその辺の人々に愛嬌を振りまいていました。

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Takekawa Daisuke