手のりアノマロカリス

[KOK 0181]

20 Sep 2001


「夏休みの工作」というには少しおそいが、まあそれはともかく、このページをみて欲しい。そのまま夢中になって、以下の文章を読むのをわすれてしまったとしても、それこそ作者にとって本望である。

そもそも「この」記事の主旨としてはこれ以上なにもない。いろいろな人に見てもらいたいだけなのだ。そしてたとえば「すごいじゃん」とか「ちょーかわいいー」とかいったお褒めの言葉が欲しいのだ。でも、そんなこと恥ずかしくて素直にたのめないから(たのんでしてもらうことでもないし)、不用意に理屈をこねはじめたりしているのである。

そうして、こんな時に思わずたれる蘊蓄のおかげで、かえってみんな引いてしまって、「話ばかり難しすぎて、わたしにはなんだかねぇ、また今度にしておきます」などと、きっとそのまま放置されるかもしれないことは解っている。そう「経験的」に解ってる。いつだってそういう危険性のほうがかえって高いに決まっているのだけれども、この作者はただ作って見せただけではだめなんじゃないかなどと思っているのだ。だからといってサービス精神があるというわけではない。つまりは自信がないのである。古今東西の例に漏れず、饒舌さと自信のなさは双子の兄弟である。

「これまでになく軽量な作品ですので表示は一瞬で完了し、しかる後は電話線を切ってもお好きなだけ遊べます」と、こんな宣伝文句まで書いてしまうあたりが、とことん情けない。しかしそれでもこの作者は、こうやって書けば、あいた時間にネットにつないでくれる人もいるのではないかと、さもしく期待しているのである。そうして、もしやそのうちの何人かは、気まぐれにうれしい感想を書いてくれるのではなかろうかと、漠然と妄想しながら待ち望んでいるのである。

「徒党を組むやつは嫌いだ」などといっているくせに、この作者はときどき妙にそうして寂しがる癖がある。彼が孤高の奇才にはなりきれない所以がここにある。だいたいからしてこの作品自体、現実逃避の産物である。脳髄が必要以上に煮え詰っているときはその副作用としてこういうものが誕生する。だから決してほめられたものではない。そんなものを人に押しつけようとするのだから、なおさらたちが悪い。

ああ、こんなにまで書いてしまって、その上、さらに無用な理屈をこねることを、世間では恥の上塗りという。もし情けの心があるならば続きの文章は読まぬまま、ただリンクをダブルクリックをして欲しい。一体全体、それでいいのだ。もう十分なのだ。マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨー。

J・グールドのワンダフルライフを読んで以来、カンブリア爆発とパージェス頁岩とアノマロカリスの3点セットは、持ちネタとしてはずせない。

もともと昆虫少年でそのうえ名古屋人だから節足動物は嫌いなはずがない。節足動物が怖くてエビフライは食えまい。さらに半分混じっている岐阜の血はヘボの子だってザザムシだって恐れはしない。むろん食べるだけじゃなく、ムカデやダンゴムシのように足がわさわさしてるタイプをじっと見ているのも大好きだ。

ホヤの仲間からボヤーと進化した脊椎系のわれわれから見ると、節足動物はいかにもシステマティックな生き物だ。節足動物の進化は、ほとんど同じ構造を持った部品を縦につなぎ合わせて、それぞれの部品をごとにちょっとだけ形を変えながら新しい機能を追加するという、独特なやり方で進んできた。

一個の節に着いてる上下左右4対の突起物がまず原型で、それを触覚にしたり、爪にしたり、羽根にしたり、足にしたり、眼にしたり、鰭にしたり、顎にしたりと、まるでブロックあそびのようだ。さらに必要に応じてその節を何個も連続して並べることだってできる。いっけん複雑なエビのような節足動物も、丁寧に解剖(というより分解ってかんじね)してみると見事にこの基本構造が守られているのがわかる。

ロンドンの自然史博物館でアノマロカリスの模型を見ていたとき、かのカンブリア生物の体の構造と、最近いじっているフラッシュという動画作成ソフトが、頭の中で綺麗につながるのを感じた。フラッシュというソフトは、オブジェクト指向のコンピューター言語をハイブリッドな形で取り込んでいる。

いきなりオブジェクト指向なんていわれてもわけがわかんないかもしれない。そういえば、十数年も昔に「これからはオブジェクト指向の時代だ」と数学科の友人にそそのかされ、はじめて SmallTalk という言語を覚えようとしたとき、メッソッドだのクラスだのエージェントだの聞き慣れない言葉に翻弄され、ぼくも実際なにがなんだかさっぱり理解できなかった。

コンピュータに詳しいO氏によれば、オブジェクト指向というのは、抽象的に定義された部品を実体化するときに、上位の抽象的な定義を継承したり、一部のみ継承して残りを上書きしたり、上位が持たない性質を新たに付け加えたりする事ができ、オブジェクトの持つ性質(プロパティとか呼ばれることもある。)が、外部から隠蔽できるような機構を有しているような言語だそうである。

そして「たとえば、抽象的に節を定義しておいて、それを継承させながら、先端の節、中の節、けつの節の違いと足や手の付け足しを記述して、並べれば出来上がり、と言うのがオブジェクト指向的なプログラミングですね。」ということである。

まあ、ともかくこのオブジェクト指向のプログラミングも、ウインドウズやフラッシュのように扱う対象が目に見える形になるとずいぶんイメージしやすい。そうして節足動物の動きは、実にフラッシュむきなのだ。というより節足動物の構造そのものがオブジェクト指向というべきなんだろう。たぶん節足動物では個々の節構造をつかさどる遺伝子があって、その上でホメオボックスのような遺伝子が全体の関係を調整しているにちがいない。体の構造だけでなく彼らの動きもまた同じように考えると実に明快だ。

フラッシュを覚えるにつれ、ぜひいちど簡単な節足動物のモデルを作ってみたいと思うようになった。そんなときたまたまフラッシュ関連サイトをながめていて、まさにぴったりのプログラムをみつけた。これに手を加えながら独自の動きをそえてみる。いい感じだ。作業時間わずか4時間。そのほとんどが頭の画像のディテールに費やされた。でも、作品のできと作業時間は関係ない。

もともと実験用の試作としてつくったのだが、見れば見るほどかわいいので、ぜひともこれは公開して自慢しようと思った。世界中にアノマロカリスに関するウェッブサイトはたくさんあるが、これほどよく人になついているアノマロカリスはほかにいない。

映像では、イカの外套幕を意識してカーテンが波打つ感じで柔らかくヒレが動くようにしてみた。もしかしたらこれは実際にはエビやシャコのヒレのようにもうすこし硬めのオールのような動きなのかもしれない。しかし実物を見たことがある人なんていないのだから、見た目がきれいなカーテンタイプを採用した。ひらひらとヒレを動かして泳ぐ様は、小さく表示するとむしろ昔懐かしいシーモンキーのようである(どちらも節足動物という点では同じだが)。画面上で右クリックをすれば拡大表示のメニューがでる。動きは遅くなるかもしれないが、大迫力のアノマロカリスが姿をあらわす。

プログラムとしては実にシンプルである。これこそオブジェクト指向の面目躍如といった感じの発想だ。動きだけを見ると一匹のアノマロカリスが指先を追いかけながら泳いでいるようにみえる。しかしプログラム上は全く違う。実は、独立した15枚の画像を、場所はそのまま動かさず時間をずらしながら、それぞれ頭の先から尻尾までアニメーション表示させているだけなのだ。

さて、よけいな蘊蓄ばかり多く書きすぎて肝心なところはかなり言葉足らずな気がする。こんないい加減な説明で、この画期的なアニメーションの原理がわかってもらえるだろうか。くどいようで申し訳ないが、ぜひ実際の画像をみながら考えてみて欲しい。

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Takekawa Daisuke