貧乏ゆすりの進化

[KOK 0200]

08 Mar 2002


いったい、どうやって嗅ぎつけるのだろうか、村ではほんの小さな傷をしただけで、すぐにそこにハエが群がりはじめる。ハエたちは気づかぬ間にそっと傷口にとまり、いつのまにかペロペロとその傷をなめるのだ。ハエの舌はときおり痛点を刺激するらしく、ちくりとした鋭い痛みを感じてそこに目をやると、夢中でしがみついている黒い影を確認することになる。

そうやってなめられているだけならまだしも、このあたりのハエはまちがいなく不吉な病原菌をいっぱい媒介しているはずだ。ハエになめられた傷口は、やがて確実に膿みはじめ、さらにそれは広がっていく。そして必然的にもっとたくさん のハエを呼び寄せることになる。こんな時ほど表皮の重要な役割について再認識し、バンソウコウのありがたみを感じる瞬間はないのである。

実際のところもしバンソウコウがなかったらどうなるのだろうか。ハエが引き起こすこの悪循環をどのように防げばよいのだろか。いうまでもなく、まだ人類がバンソウコウを発明する前の時代にもハエはいただろう。きっと今よりももっとたくさんいただろう。そんな時代の生活では、ほんの小さな引っかき傷ですら致命傷になりかねない。

牛や馬はハエを追い払うためにいつもしっぽを振っている。しかし残念なことにわれわれ人類の祖先は、樹上生活していたある段階でしっぽを放棄してしまった。

ハエは動いているものがあまり好きではないようだ。歩いている間は決して寄ってこない、しかしいったん立ち止まり座り込んだ瞬間に、いずこよりか患部に舞い降りてくる。

さて、そろそろ話がみえてきただろうと思う。貧乏ゆすりというのは、現代人においてもっとも嫌われるふるまいの代表格となっている。少なくとも、みっともなくて不要な行動以上の評価を与えられることはないだろう。しかし、もともとこの行動にはハエを寄せつけないという適応的な機能があったのではないだろうかというのが今日の仮説だ。

静かにじっとしているときに無意識に体の一部を動かしつづける、それができる人にはハエが近づかず病気にもなりにくかったというわけだ(チンパンジーは貧乏ゆすりをするのだろうか)。

ハエは足元にあたりによく群がる。たしかに貧乏ゆすりは座っているときなどに足を動かすことが多い。そして実際、足を揺らせばハエはその場を離れる。

いみじくも現代社会において貧乏ゆすりは、ハエと共に生活するような劣悪な環境の中でこそより効果を発揮する。貧乏ゆすりの貧乏たるゆえんはそこにあろう。だからこそ、のちに発明された仏事に使われる払子のような道具は、その貧しさから逃れた人間の一種のステイタスになりえたのかもしれない。

もしこの仮定が正しければ、本来自然に対して適応的であった普通の行動が現代においては貧乏の象徴として忌み嫌われているということになる。足の裏の角質化や、花粉症などのアレルゲンへの過剰反応の話に似て、これはちょっと淋しい話なのである。

しかしながら残念なことに、この仮説をうまく検証することはできなかった。村にいた2月はまさに雨期の真っ最中のハエの季節。そこいらあたり、もう五月蠅いこと五月蠅いこと。いらいらしながらハエを追い払う私を横目に、村の人たちは平然と食事をとっていた。そして注意深く観察したが、貧乏ゆすりをしている人はいなかったのである。


タナのメラネシアダンス

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Takekawa Daisuke