[KOK 0234] 20 Oct 2003

フツナ島での暮らし

 

フツナ島

島に定期船がこなくなって2年になるという。わずかな灯油と石鹸を最後に文明社会からの物資は、まもなく尽きようとしていた。

しかし人々は、そうなる前にすでに昔ながらの自給自足の生活に戻っていた。夜を照らすランプも灯油がなければ役に立たない。南極から海を越えて吹きおろす風が冷たい夜には、薪をならべて暖をとり、朝夕には調理小屋でココナツの殻を燃やす。

火の横に座り、気まぐれに向きを変える煙に涙をながしながら、私は化石燃料から自由 (FFF:fossil fuel free) な暮らしを身をもって感じていた。それはすがすがしいほどに簡素な生活だった。そして美しかった。

フツナ島

けっしてなにかを理想化したいがためにこう語るわけではない。何時間も消えることのない炭火をしずかにみつめがら、木の枝が何年もかけて太陽から蓄えたエネルギーを天に解き放っていくその循環に、確かに、自然の流れと共にある自分の存在を感じたのだ。体をほてらす焚き火はまさしく日の光のように暖かかった。

フツナ島

この圧倒的な現実感にくらべて、文明社会でつかわれるスローライフやリサイクルやエコロジーといった標語は、なんと空虚で薄っぺらなのだろう。焚き火ひとつおこせない人が、ペットボトルをあつめて電気自動車に乗って環境問題を語り、いったいだれになにを認めてほしいのだろうか。

フツナ島

日本に帰り、環境という言葉を聞くたびに島の暮らしを思い出す。どこかずれている。肝心なことが忘れられている。「自然が大好き」「自然を守ろう」ではなく、「自然と共に生きる」こと。みんなで一緒にではなく、自分の美意識を羅針盤にして。たとえば、せめて月に一度の満月の夜には、月よりもあかるい光はつけることなく暮らしたいとか。そういう美しさ。

フツナ島


▲ NEW [kok0235]     INDEX     [kok0233] OLD ▼


© TAKEKAWA Daisuke