【狂30】マエラシ その4

94/9/22

■そういえば、うわさ話にまつわるこれに似たような事件が2週間前にもあった。やはりイルカ漁に出ていた時だ。

■その日は運よく早朝にイルカを発見することができ、カヌーでとりかこみながら村の前の入り江まで順調に追込んできた。しかしちょっとした手ちがいでイルカたちはカヌーの包囲網をやぶって逃げてしまった。私のちょうど真向かいにあたるカヌーが、イルカをおどす石を打つのがおくれたのである。村の入口まで追込んでの失敗に、われわれも、浜で歓声をあげて見ていた女たちも大いに落胆した。

■しかし、私はあきらめきれずに同じカヌーに乗る相棒のバレに頼んだ。

「逃げたイルカを追ってみたいんだけど」

■そして私とバレはがっかりして村にもどる船団のまんなかをよこぎり、反対側のイルカの逃げた海にむかってこぎだしたのだ。それがいけなかった。

■私とバレがイルカの追跡をあきらめて村に帰ってくると、女たちが変なうわさをしているのに気がついた。「イルカが驚いて逃げたのは私とバレが誤って追込みの囲いの中にカヌーをすすめたからだ」というのである。

■私は驚いて「イルカが逃げたあとで囲いの中に入ったのだ」と釈明につとめたが、私とバレが漁をだめにしたといううわさはいっこうに消えない。不思議なことに、船団の中にいて目の前で事態を見ていたはずの男たちも、そして同じカヌーに乗っていたバレさえも、この女たちのうわさをあえて否定しようとはしなかった。

■結局、私とバレは次の日の漁を休んだ。もちろん私はおおいに不本意だったのだが、ほとぼりがさめるまで謹慎といったかたちにおさまったのである。

■私は髪の毛の話がでたついでに、この漁の失敗したときのことを話し、前から疑問に思っていたことをはっきりさせようと考えた。こととしだいによっては今後イルカ漁に出るのを控えなければならなくなるかもしれない。

「どうして女たちが嘘をいっても、男たちはだまっていたんでしょう?やっぱりぼくがイルカ漁に参加するのは、あまりよくないことなんでしょうか」

■オイウ老人は私の話をひととおり聞くと、じっと考え込んだ。

「村の会議でタケがイルカ漁に参加することが認められたのじゃから、なにも心配することはない。考えすぎると小人の心に惑わされる。タケが漁に出るのをいやがってるものはだれもおらんよ」

■それは私も感じていた。この2つのうわさ事件以外に人々が私が漁に出るのを拒んでいるいるようすはなかった。むしろほかの調査のために私が村にのこった日など「どうして今日は海に行かないんだと」しつこく聞かれるのが常であった。

■オイウ老人はタバコを深く吸いこみ、遠くを見つめた。若いときに街に出てキリスト教を学び、一時は宣教師をしていたこともある彼は、すでに80歳を過ぎているにもかかわらずおどろくほど聡明で好奇心が強い。ふだんは冗談話ばかりしているが、いざとなるとだれも思いつかないような的確な判断をくだすので村人の信頼もあつかった。

「タケは女たちの話を嘘というが、どうも、そのあたりに問題がありそうじゃのう」

■老人は慎重に話を進めた。

「追込みの最中にあやまってイルカの囲みのまんなかにこぎだしてしまうカヌーはいるが、漁が失敗した後に自分の反対側に逃げたイルカを見にいくやつはおらんでのう。女たちが喜んで語るのは『もしこうであればああであった話』ではなくて『本当の話』なんじゃよ。だから男たちもバレも黙っておったんじゃな」

■オイウ老人は再び『もしこうであればああであった話』という言葉を使った。うわさに対して私がしていた釈明もまた『もしこうであればああであった話』なのか。

■強い日差しに黒く影を落とすアバロロの木の下で私は黙って考えをめぐらした。小さな魚の群がなにかに追われていっせいに水面をはねていく。キラキラとまぶしい光の帯が、海と空の境界線を見えなくする。

■やがて、オイウ老人は吸っていたタバコの火が指先まできていることに気がついて、吸い殻を地面においた。

「ほっほっほっ。今日はタケになにか物語をしてやろうかのう」

■唐突な提案に、私のぼんやりとした考えごとが中断された。

「なんの話がいいかの。そうじゃな・・・『勇者ワニガロが髪の長い娘を海の口から助けだした物語』というのはどうじゃな」

■オイウ老人はなんだか愉快そうに笑っている。私はおずおずとたずねた。

「その物語は、今までの『本当の話』となにか関係があるんですか?」

「関係があると思えばあるかもしれん、ないと思えば全くない」


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