大変さの尺度

日本に帰ってきた。「ソロモンの生活は大変だったでしょうね?」と聞かれる。うまく答えられない。たしかに日本の尺度からいえば大変な所だ。

街の中は道路改修が進まず、天気がよければ砂ぼこり、雨が降ると泥だらけだ。村に向かうはず船は、海の真中で舵がきかなくなり、突然グルグルまわり始め、やっとのことで船体を斜めに傾けながら制御をする。そして結局、海の中で大きく弧を描ながら、再び出発した港に戻ってしまう。故障が直るまで、港に停泊した船の中で2日間も寝泊りする乗客たち。

ガダルカナル島民とマライタ島民のあいだの部族間抗争は一向に解決せず、毎日のように、村を焼かれ、銃撃戦で人が死んだと伝えられる。水源地にはガダルカナル勢力によって毒が放りこまれたというデマが流れ、そのせいかどうかはわからぬが、水源地の土地所有者の息子がマライタ勢力に射殺された日には、怒った父親の手によって街中の水が止められた。家を焼かれた住人が、町に来て憂さ晴らしに暴れまわる。だれが被害者でだれが加害者か、わかりゃしない。

幸いなことに今回はマラリアこそかからなかったが、村に入るといつも必ず身体中に奇妙な湿疹ができる。虫刺されではなくアレルギー性のかぶれのようなのだが、原因がわからない。サンドフライも大発生し足元が痒くて仕方ない。ちょっとした怪我にはハエがたかる。いろいろのものにカビが生える。村では相変わらず真水が不足している。

でも、ソロモンの尺度でいうと、これぐらいのことは大変でもなんでもない。ごく普通なのだ。あたりまえ。みんな平気だ。だれもなんとも思っていないから、自分だけおろおろするのがばかばかしくなる。こんなものだと思ってしまえば、たいていのことが問題でなくなる。

3月9日の深夜2時に出る飛行機で出国するはずだった。帰国の準備を整えて夜を待つ。まだ前日の夕方。ふと、手もとの時計のカレンダーを見ると、すでに3月9日を表示している。あれ?変だ。まだ0時をすぎていないのに。1日まちがえてた?飛行機はもう出ちゃったてこと?

あわててまわりの連中に確認するが、だれも正しい日付なんて知りはしない。近くにカレンダーすらない。ぼくはひとり真っ青になるが、みなは「来週に帰ればぁ」と笑うだけ。

結局、さんざん大騒ぎしたあげく、400年に1度のうるう年を思いだし、コンピュータ文明の脆さ実感する。が、しかし、実は僕の時計は4年に1度の普通のうるう年にすら対応していなかったのだ。もう、こうなってくると2000年問題の大騒ぎがとてもばかばかしく思えてくる。それ以前の問題だ。だいたい日付ひとつで右往左往する、近代って、いったいなんなんだよぉ?

ソロモン人にとってはそんな普通のうるう年でさえ、すでにどうでもいいのだ。「へぇ、今年は1日多いんだぁ。ときどき多くなるみたいだね。少なくなるよりは得だよねぇ。ソロモンに1日長くいられてラッキーじゃん」だって。

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