【イルカ歯貨】

『ソロモン諸島の生活誌 文化・歴史・社会』

明石書店
1996
ISBN4-7503-0795-5 C0025 P4120E

ソロモン諸島国の首都ホニアラの街を歩いていると、腕や首にきれいなビーズの飾りをつけている人をよく見かける。糸でつなげられた小さなビーズの輪は、オレンジ色や茶色、白を基調にしているものが多い。伝統的な貝のお金、貝貨から作られた装身具だ。ときどきこうした装身具のなかにビーズとは違った白い花びらのような細かな飾りがついているものがある。よく見ると、1センチメートルほどの大きさの鋭く尖った小さな歯が、いくつも重なっているのがわかる。これがイルカの歯である。

toniia イルカにかぎらずオセアニアの各地では、さまざまな動物の歯が貨幣や装飾に用いられている。パプアニューギニアのイヌの歯やコウモリの歯、ポリネシアに見られるクジラの歯などがそれである。そしてここソロモン諸島国にも、マライタ島を中心にイルカの歯を貨幣として用いる1つの文化圏がある。こうしたイルカの歯は、一部の村に特権的に伝えられているイルカ漁によって供給される。有能な漁撈民として知られるラウの人々が、現在ではその技術を担っている。

現在、マライタ島でもっとも流通しているイルカの歯は、現地名でウヌブルとよばれるタイプのものである。これはマダライルカの歯であることがわかっている。そしてウヌブルよりもやや小さめで、おもに装身具などにつかわれるのが、ラアとよばれるイルカの歯である。ラアはハシナガイルカの歯である。

そのほかに、ロボ、ロボアウ、ロボテテフェという名で呼ばれるイルカの歯があり、それぞれ、ハンドウイルカ、カズハゴンドウ、スジイルカのものであると考えられる。なかでもロボアウとよばれるカズハゴンドウの歯は、最も価値が高いとされているが、近年ではほとんど新しい歯を手に入れることができなくなっている。カズハゴンドウの自体がまれな種で、その生態もあまりわかっておらず、マライタ島での捕獲は非常に貴重なケースであると考えられる。

水族館でおなじみのハンドウイルカは、ここにあげたイルカの中ではもっとも大きな歯をもち、歯の形の違いからロボ以外に複数の名称をもっている。しかし同じマライタ島のなかには、このような大きなタイプのイルカの歯に対して、貨幣としての価値を与えていない地域も多い。

イルカの歯の使用にかんする三形態

ここで、イルカの歯が実際にどのような形で流通しているのかをわかりやすく説明するために、その使われかたを3つの形態に分けて考えてみたい。

(1)装身具としての歯

ひとつめは、飾りとして使われるイルカの歯である。結婚や儀式のさいに人々の体をいろどるさまざまな装身具がこれにあたる。最初に書いたように、人々のファッションの一部として、ソロモンの街でごくふつうに見かける首飾りにもしばしばイルカの歯が使われている。マライタ島には、足飾り、腕輪、胸飾りなど、貝のビーズと組み合わせてつくられた数種類の装身具がみられた。なかでもロダラと呼ばれる頭に巻くバンドは、緻密な模様が複雑に組み合わせられた見事な装身具である。

これらの装身具は基本的に女たちの所有となり、結婚や母の死にさいして、娘や女性親族の手に渡る。こうして装身具は母系的に代々受け継がれていくのである。わたしは村のチーフの家で、この100年のあいだほとんど捕獲されていないカズハゴンドウの歯をみせてもらったことがある。生きたカズハゴンドウをとらえたことがある人は、すでに村には1人もいない。しかし、そのイルカがかつてここにいたということだけは、ながい年月と多くの人の手を経て、いっそうつややかに磨きのかかったカズハゴンドウの歯が証明している。

(2)特殊交換財としてのイルカの歯

ふたつめの形態は、イルカの歯が婚資や重要な交換などにもちいられるケースである。この形態のイルカの歯は、原始貨幣的な機能をもっともよく示している。おおくの場合、1、000本の歯がひとつの単位となる。1、000本のイルカの歯はトニイアと呼ばれ、ビーズ状につなげるとおよそ150センチメートルほどの長さになる。このように特殊交換財としてのイルカの歯は、1本1本がばらばらに使われることはなく、ある程度まとまった単位で要求されるという特徴がある。

貝貨にも同様のことがいえる。たとえば、マライタ島南部のファナレイ村ではタフリアイとファタファガと呼ばれる2種類の貝貨の単位がある、いずれも1・5メートルから2メートルほどの長さの複数のビーズの紐が束になっったものであり、これ全体がひとつの単位となる。

トニイア(千本が単位のイルカの歯)の具体的な用途としては、婚資や香典などの社会性の高い贈与や、ブタや土地、家、カヌーなどの貴重な財にたいする支払いがある。近年は貨幣経済の浸透にともない、現金によるやりとりもふえてきてはいるが、イルカの歯や貝貨にたいする人々の信用は高く、現金による交換が拒否されることもおおい。

このような特殊交換財として使われるさいには、イルカの歯が単なる「お金の代用」以上の意味を持っているように思われる。たとえば、トニイアは400ソロモンドル(約2万円)で実際に買うことができるが、婚資などで使うさいに、トニイアを相手に渡す代わりに現金の400ソロモンドルで払うことはできない。つまりこの場合、通貨としての価値ではなく、渡されるものがまさにトニイアであることが重要なのである。

さて、ここでマライタ島での婚資を例にして、具体的な使われ方を見てみることにしよう。伝統的にイルカの歯を婚資として利用している人々は、おもにマライタ島北部にすむラウ、トアバイタ、クァラアエ、ファタレカ、バエグウといった言語集団である。また、キリスト教の影響から婚資に対する考え方は近年になってずいぶん変化してきており、必要とされる婚資の基準が村ごとにことなるために、しばしば婚資のやりとりをめぐってトラブルが発生している。しかし、一般的には妻方・夫方関係なく多くの婚資を必要とする村側の習慣にあわせるようである。西洋文化の影響からまた首都のホニアラでは、婚資なしでの結婚もおこなわれるようになってきたという。「婚資が払えないからかけおちして首都で結婚しようと思う」なんていう、若者たちのなかば冗談めいた話をしばしば耳にした。

婚資は婿側の父親から、嫁側の父親にたいして支払われる。婚資のうけわたしは結婚式の1年から1ヶ月ほど前が普通である。ここでいう結婚式とは教会でおこなうキリスト教のもとでの儀式のことであり、伝統的にはこの婚資のうけわたしのほうが重要である。婿側の父親は親族中から集めた1、000本のイルカの歯や貝貨を複数用意し、嫁方の父親はその中から気に入ったものを、あらかじめ約束した分だけうけとる。このあと婿側の親族によって花嫁が、形式的な略奪のようなやりとりののち連れ去らる。こうして婚資のうけわたしの儀式は終わり、この日から花嫁は婿側の家に住むようになる。また例外的であるが、夫が妻方の家系を継ぐいわゆる婿養子の形で結婚するさいには、婚資のやりとりはおこなわれない。

参考までに、さきに例にあげたファナレイ村での婚資を書いておく。ファナレイ村では1本のトニイアと5本のタフリアエが基本である。これだけで日本円に換算して10万円以上になる。このほかに多くの布や現金、食料などが嫁側の父親に渡される。

(3)通貨としての歯

さて最後の形態が、いわゆる「お金」の代わり、通貨としての使われ方である。さきにふれた特殊交換財としてのケースとことなり、イルカの歯は1本から流通する。1本のイルカの歯はニフォイアと呼ばれる。貝貨でもこれに対応する形でアエバタと呼ばれる10センチメートルどの適当な長さに切られたビーズ紐がある。そして、この1本のイルカの歯(ニフォイア)は現在40ソロモンセント(約20円)として使うことができる。

以上を簡単にいえば、イルカの歯が現金と置き換え可能なものとして扱われているということを意味する。もちろん実際にはさまざまな条件があり、イルカの歯はいつでもどこでも1本40セントで使えることを保証されているわけではない。イルカ漁の盛んなファナレイ村では、村の雑貨屋でタバコや缶詰を買うさいにもイルカの歯を使うことができるのだが、むしろこれは例外的である。イルカの歯や貝貨を使った現金的な決算は、小規模なローカルマーケットや個人間の売買でときどきみられる。

ところで、この1本40セントというレートは、政府などの公の機関が管理しているわけではない。しかし、必ずしも日々の取り引きの中で自然に決まっていくのでもないらしい。イルカの歯のほぼ唯一の生産地であるファナレイ村の村会議で決められた値段がその基準となっているという。この会議でひとたびレートが決まれば、少しくらい汚れていたり形が悪くても、すべてのイルカの歯が同じ40セントで扱われることになるというのである。

おもしろいことに、このイルカの歯と通貨との交換レートは歴史的に変動してきている。しかもイルカの歯は常に通貨にたいして強くなってきているのだ。具体的に示せばこうなる。1950年代以前には1本5セントであったイルカの歯が、1950年代に入って10セント、さらに1960年代に20セントとなり、1980年ごろ現在の40セントのレートになった(1994年には50セントにひきあげることが村会議で決定された)。これは通貨のインフレに対抗してレートを変えてきているとみることもできる。

また、村人の話をさらに詳しくきくと、レート変更は貝貨の値上がりに連動しているのだという。つまり、イルカの歯よりも流通しており影響力の強い貝貨が、先に通貨に対するレートをかえ、それに遅れるかたちで貝貨に固定的なレートを持つイルカの歯の値段をあげるのである。

貝貨の通貨にたいするレートの変化のメカニズムには不明な点も多い。どのようなきっかけでレートが変わるのか、レートを変えることによる影響はどうなのかなど、検討しなければならない問題が残されている。さらに村レベルでのこのようなレートと首都ホニアラなどでの交換レートが異なっているという事実も無視できない。装身具や土産物として首都でイルカの歯が取り引きされるさいには、1本の歯に村の倍以上の値がつけられていた。

3つの形態が意味するもの

ここまでに見てきたように、ひとことでイルカの歯を原始貨幣といっても実際の流通形態は状況によってずいぶん異なっている。そのうちのどれがもっとも本質的で、イルカの歯の価値を保証する根拠となっているのかを判断するのは容易ではない。 たとえば、3つめにあげた通貨と連動した貨幣のありかたは、近代貨幣経済の影響を強く感じさせる。しかし、イモや魚との交換といった日常的で私的なやりとりの中でイルカの歯を手に入れるという方法は、貨幣経済以前にも存在していただろうと思われる。

あるときは装身具、また別の時には特殊な用途のための交換財、そして通貨の代わりにもなるというという点からみると、イルカの歯や貝貨はちょうどわれわれの世界の「金」のありかたに似ているといえるのかもしれない。3つの流通形態のどれかを中心にすえて、そこからイルカの歯の価値を敷衍させるよりも、このような3つの形態の複合的な相互作用が、イルカの歯の価値を保証していると考えるほうが、むしろ正解に近いのではないだろうか。

イルカの歯の貨幣としての価値を、その実用性や美しさ、イルカをとるための努力(労働)に求めていく方法では結局乗り越えられない壁にぶつかる。たしかにマライタの人々は、イルカの歯に関して極めて微妙な美的感覚を持っている。わたしが気付かないような歯のわずかな曲がり具合や、色合い、つやなどから、それが美しい歯であるとか、よくないものであるとかいう判断をする。また「なぜ、イルカの歯が婚資や交換のために使われるのか」という質問にたいし、「美しいからだ」という答えが返って来ることも多い。イルカの歯の美しさに関して言えば、われわれにはほとんどわからなくても、彼らには極めて確かなものとしてそれが存在していることは間違いない。しかし、にもかかわらず実際の交換の局面ではひとつひとつの歯の美しさに関係なくイルカの歯はすべて同じ価値を持ち、いわば記号的にあつかわれるのである。

問題は「美しいから価値があるのか、価値があるから美しくなるのか」という無限の循環である。どこかに価値の突然の飛躍がなければこのような無限の循環は始まらない。日頃われわれが手にする通貨は、あくまでも経済の媒体として、純粋な価値の世界に身を置こうとしている。そこに無限の循環のきっかけを見つけることはきわめて困難である。しかし、マライタ島のイルカの歯に見られる「装身具」「特殊交換財」「通貨」のあいだの揺れ動きやそれぞれに特徴的な流通の形は、モノがなにかのきっかけで「実態」から「媒介」へと変貌しようとする、貨幣の本質を示唆しているかのようにみえるのである。

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