[KOK 0227] ![]() 恐怖を疑う |
■昼休みにふと入ったラーメン屋のテレビに映った風景。「あっ、この人たちどこかで見たことがある」。研究室にもどりホームページで「狂人国際蜘蛛乃巣広報」のバックナンバーの中を探してみる。 【狂72】 95/04/13 「怪しい車を見た情報→藝術?」 ■8年前にかいた文章。でも間違いない、この人たちだ。8年ぶりにみた彼らは、ちょっとだけパワーアップした感じで、相変わらず藝術みたいなことをやっていた。私が北九州に移ってからも、ずっとこんなことをやってきたのだ。 ■ブラウン管の中で、彼ら以上に滑稽だったのは、カメラを向けて大騒ぎするマスコミの姿。映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」の中のマイケル・ムーアはあえてテレビの手法を逆手に使い、パロディめかした取材のなかに鋭い白刃を潜ませていたが、日本の報道陣はどうやらマジのようだよマジ。まるで正義は自分にこそあるかのように、マイクに向かって「暴力反対」と叫び続ける。だれだよ暴力ふるってるのは?暴力的なのはどうひいき目に見ても報道陣のほう。わかっていってるんだろうか?それともやっぱりそれもふくめて全部ギャグ?うーん、まさかね。 ■山奥でなにかに怯えながら宗教活動にいそしむ彼らよりも、戦争のための準備を着々とすすめる為政者たちのほうが危険だろう。ジャーナリストのつもりなら、せめてその威勢の良さの何十分一でもいいから、日本の政治家に向けてくれよなと、むなしい正論をつぶやきラーメンをすすった。 ■引きつったレポーターの顔のアップ。あ、なるほどそうか、彼もまた怯えているのか。好奇心と言うよりは、理解不能という恐怖が彼を駆り立てているのだな。てことはこの白装束の人たちと一緒じゃん。皮肉なことにピカピカのステンレスの板の向こうに映っているのは、激怒したマイク持ちの姿。鏡に映った自分の姿に怯えている。 ■ふってわいたような騒動に便乗して、戦争のための法律がこっそり進められる。良くできた茶番だ。いや歴史に残る典型的なメディアコントロールだ。こんなとき、もしだれかに心を支配されたくなければ、恐怖を疑うべきなのだ。恐怖がジョークに変わった瞬間に、心の呪縛はするりと解ける。藝術は、そのぎりぎりのところをいつも漂う。 |
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