■共犯関係に陥りながら、抜け出せなくなる、いじめの泥沼。手を染めていたのは4人だけではなく。すべての傍観者もまた、いじめに荷担してるのだ。それどころか、死んだO君自身もまた共犯者だったのかもしれない。それがのうのうと生きているわたしたちの姿なのだ。
■同級生のだれもが気づいていながらも、かかわりを恐れて口をつぐむ。自殺ではなく突然死であると報告した学校。何も認めたがらない大人たち。
■「責任をとれ」と言えば言うほど。言われた方は身を硬くする。おもいきっていってしまおう、O君の死は責任とは無関係なのだ。法的責任が問われなければ、人をマットでスマキにして殺そうが、金をゆすりとろうが、この国では問題にはならないだから。
■O君は生きながらすでに、どこに訴えてもしかたがないことを知っていた。自分で責任をとるほかに、打つ手はないと気づいていた。
■時間が解決するというのは、本当だろう。忘れるという形で。だけど忘れたくないと思えば死ぬしかなかった。相手を殺せるぐらいならとっくに殺している。そんなことをしようとしても、逆に殺されるだけだ。自分の死すら他人の手の中にある恐怖を想像してみたことがあるだろうか?
■自分の手に残された最後の幸福な選択が、「自殺」だったのだ。
今では『パシリ1号』とか呼ばれています。
■しかし、私はO君が最期に一つだけやり残していることがあるように思う。「呪い」。O君のもっとも大きな不幸は、誰も呪えなかったことだ。「完全自殺マニュアル」や「いじめ撃退マニュアル」が発売される前に、「万能のろいマニュアル」が作られるべきだった。
■死すらなお包括する思想を!O君やそのほかの多くの優しい友人にかわって、私がすべての共犯者たちに、とけない呪いをかけておこう。死ぬまで呪い続けることが生き残った私の義務だろうから。