北九大ネット7月8日大発信

[KOK 0111]

08 Jul 1999


●ほんとうの北九大ホームページ●
北九大ネット
● 7月8日大発信 by KOBO●

おまたせしました、「KOBO(こくら情報工房)」からのご案内です。今週の木曜日、七夕の翌日。北九州大学にて、「北九大ネット」のオープニングセレモニーをおこないます。「KOBO」は、インターネット時代のあたらしい情報発信のありかたを考え、実践していく集まりです。

当日は記者会見の場を設け、報道関係者のみなさまをお待ちしております。新しいメディアの誕生に、ぜひおたちあい下さい。どうぞ、よろしくお願いいたします。

北九大ネット オープニング・セレモニー
7月8日(木)
北九州大学4号館4−402にて

17:30 開場
18:00 北九大ネットプレゼンテーション
「こくら情報工房について」
18:15 記者会見
18:30 北九大ネット自由閲覧
19:00 懇親会

【これまでの経緯(ちょっと長くなりますが)】

2年前のちょうど今頃、98年度の学内LAN完成にあわせて北九州大学の情報処理教育センターが中心となり、大学ホームページの作成プロジェクトが立ち上がりました。そして、このプロジェクトを推進するためのスタッフとして、学生サポーターと呼ばれる組織をつくり、ここに全学から30名の多彩な学生たちが集まりました。

北九州大学は文科系の大学と言うこともあり、学生サポーターもはじめはコンピューターにふれたこともないという学生たちも多数いましたが、ネットワークを利用し自主的なグループ学習を進めた結果、非常に短期間に全体のスキルが向上し、学生たちは大学のホームページづくりの強力なスタッフに成長しました。

この際のネットワーク型の組織づくりについては、情報教育という視点から、主催:文部省主催の平成9年度情報処理教育研究集会において「センター運営における学生ボランティアの育成」という形で研究発表がされています。

そして学生サポータたちは、実質わずか半年で大学ホームページを完成させ、1998年4月のLAN開通のセレモニーの場で、それが公開されました。

公開時には「学生たちの手によってつくられたホームページ」として、地元のマスコミで報道されました。このホームページの特徴は、パンフレットを引き写しただけのどこにでもある大学ホームページにとどまらず、利用する学生側の視点をとりいれた、おもしろくて役にたつ情報を発信しようというものでした。

こうした学生たちのセンスはページの随所に生かされておりましたが、とくに注目されたのは中国語のページです。英語のホームページを持っている大学は多いのですが、実際に北九州大学に来ている留学生の多くは、中国からの学生たちです。ならば、むしろ中国語のページのほうが重要ではないのか、そんな発想でこのページは作られました。

このように、大学内外から期待されながら立ち上がった学生サポーターですが、1998年4月に情報センターの事務員がかわってから、様子がおかしくなってきました。

ホームページのオープニングを終えた学生サポーターたちは、新しい企画として、学生情報のページを中心に、学内掲示板やゼミ・サークルのホームページの充実など、さまざまな提案をし、教員スタッフも3人に増え、前年以上にやる気を出していました。

新しく来たセンターの事務員は、ホームページづくりを大学業務と位置づけ、学生を中に入れるのは好ましくないという考えの方でした。しかし実際には、昨年までのいきさつもありますし、情報センターの運営は、教員が組織するセンター会議がおこなう形であったために、彼もなかなか手が出せなかったのですが、すぐに本性が現れました。

手始めは、学生たちが利用していたホームページの編集室が、ある日突然閉鎖されるという事件でした。結局、事後承諾という形で、翌週になって「学内LANトラブルの復旧作業に必要な部屋の確保のためにやむを得ず部屋を貸していただいた」という説明がなされました。

かわりの編集室は、なかなか用意されず1ヶ月以上もあとになって、ようやく別の場所に確保されましたが、実際には使用できる端末などの整備がさらに遅れ、そのまま夏休みにはいってしまいました。

このあと、一年間にわたって学生サポータにたいしておこなわれた、この事務員の数々のいやがらせに関しては、長くなるので詳細は別の機会に報告することとし、手短に経緯だけを書きます。

9月には教員と学生サポーターと大学事務が協力しておこなっていたHTMLの勉強会と、ページの更新作業が、情報センターの事務員の一存で一方的に中止されるというトラブルが起きました。

10月4日に、地域の市民グループと、北九州大の情報教育センターが合同で進めてきた「ネットピア北九州」というイベントが、北九州大学で行われました。このイベントでは北九州市のさまざまな市民グループが、それぞれの活動を報告するブースがつくられ、学生サポーターもその一つとしてブースに参加することがセンター会議で出されていました。

ところがその会議の場にいなかったセンター事務員が、直前になって「サポーターの名前と企画の案内をパンフレットから削除して欲しい」と主催者に直接電話をし、確認をとれないまま、パンフレットのサポーターのブースに関する説明がすべて削除されてしまいした。この件についてもこれまで同様、事前にセンター所長もセンター会議も関知していない独断の行為でした。

そして、さらにその翌週、サポーターの新規メンバー募集をセンター会議に諮るための資料が、このセンター事務員によって印刷を拒否され、会議で議論できなくなるという事件が起きました。

同時にこの事務員から「今後は口頭は勿論、メールでの連絡も止めて下さい。云いたくはありませんが、指示を受ける職務上の義務はありません。」という内容のメールが送られてきました。

その後、学生サポーターの活動はほとんど停止状態になりました。

そしてこの間に、管理ができないという理由で、いつのまにか中国語のページが削除され、ホームページは中途半端に改変されていきました。いまの大学のホームページにはもう最初の頃の志はどこにもみられません。

それでも「せめて編集室が確保されている間はそこを拠点に次の展開をはかろう」そんな考えで学生たちは集まっておりましたが、結局、その部屋も取り上げられることになりました。それまでセンターに対してなにも言ってこなかった学生サポーターたちが、1999年の3月、これまでの経緯の説明を求める質問書をセンター所長あてに出しました。

しかしその回答は、センター所長はまったく出てこないまま、例のセンター事務員が解散をちらつかせながら、あきらかに事実に反した説明を口頭で述べただけの、きわめて不誠実なものでした。それまで、大学のためにホームページをつくろうと集まっていた学生たちは、情報センターの無責任で保身的な対応に完全に失望しました。サポーターは今に至るまで正式に解散されることもなく放置されたままです。

しかし、後ろ向きの考えでおちこんでいるのも、おもしろくありません。インターネットは世界中につながっているのです。そこで、あらためて視点を変え、持っている知識を生かしながら、もういちど自分たちでホームページをつくり情報発信をしていこうと考えました。

そもそも、コンピューターネットワークというあたらしいメディアは、従来の管理主義的な意識では、なかなか扱えないないものなのかもしれません。事務を担当している人は、ネットワークが一つの環境でありサービスであるという認識が欠けているために、なにかというと自分たちが利用を「許可」してあげているのだという意識がばかり先に出て、規制や管理に躍起になってしまったのでしょう。

まあ、それはともかく、こんなわけで、立ち上がった組織が「こくら情報工房」です。これまでの経緯は経緯として整理した上で、過去のサポーターの枠組みにとらわれず、新たな発想で組織をつくろう、と考えています。4月から準備をはじめ、メンバーを募集しプロジェクトを企画し、ようやく公開の運びとなりました。すでに学生のみならず教員・事務・生協・地域住民から30名をこえる仲間たちが集結し「こくら情報工房」は動きはじめました。

そしてその、最初の仕事が「北九大ネット」です。大学を拠点とした研究や情報交換の場として、「北九大ネット」はユニークで魅力のある学内最大のメディアを目指します。

今日のご案内は、過去の経緯に紙面を割きすぎてしまいましたが、すでに工房の目は未来をむいています。

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Takekawa Daisuke