[KOK 0263] こくら日記のトップページにとぶ 01 Nov 2005

海の砦(当日の昼)

 

自由とは、なんと多くの忍耐と創造を要求するものなのだろう。テント芝居の人々とすごした一ヶ月間は、自由という概念に対して再考を迫る経験だった。

世間一般でいわゆる自由と呼ばれている状況は、実際には管理と支配に守られた安穏な空間であり、テント芝居はその対極にある。ここまで違うと、もはやどちらも同じ名前で呼ぶことはできない。前者は、むしろ牢獄に似た言葉に置き換えた方がいいのかもしれない。

海の砦

東京を中心に全国各地から集まった30人にもなる役者たちは、一ヶ月を舞台のためだけにささげ共同生活する。なにもない都会の空き地に生活の拠点を築き、昼は大道具小道具のみならず楽屋も劇場そのものまで作りこみ、夜は次第に姿をあらわす台本に沿って稽古を繰り返す。

俳優たちは、新しく与えられたせりふを、またたくまに自分の言葉にする。そのずば抜けた記憶力と演技力は、近くでみているだけで敬服させられる。音楽はさまざまなグループから集まったミュージシャンから結成される生演奏で、曲は台本にあわせてできあがっていく。舞台では、妥協を許さない美的なこだわりによって、1930年代の北海道の風景が作り出される。本物そっくりの馬の骨、教会の廃墟。もちろん本物の馬と鶏と森の木々も出演する。そして、そんじょそこらの遊園地では決してまねできない、野外演劇ならではの大仕掛け。躍動する水と炎。昼と夜との顔を使い分けた同じ俳優たちが、すべての作業をひとりでこなすのだ。

北九州市のこの一回の公演のためだけに創られた脚本は、序盤からの早い展開で見るものの興味を引きつける。昨日になってようやくみえた壮大な物語の全貌では、複数のエピソードにはりめぐらされた小さな伏線が、最後に大きな川となって再びプロローグへともどっていく、終わりなき永遠の漂流。桃山邑の緻密な計算に驚かされる。

なぜこれほどまでに困難な状況で芝居を創るのか、しかもすべて手造りで。莫大なお金をかけて宣伝している大ホールの「はやり芝居」や、小劇場でのチープなつくりの「うちわ芝居」も、この水族館劇場の野生の芝居に比べると、まるで母親の買い物中にプレイルームで遊ばされているこどもたちを見るようである。

海の砦

俳優一人ひとりの多才な能力と、細部にわたって作り込まれた舞台。工場地帯が見渡せる小倉駅裏の広大な荒れ地に、それが立ち上がる。これが自由というものか。野生であることは自由であることなのか。ここに来て、近代システムの巧妙な調教によってすっかり手なづけられている自分自身を、私は認めざるをえない。

水族館のテント芝居はもはやアングラではない、野に出た芝居である。今回の芝居の主演女優が練習中に落馬し重傷を負い、開演が危ぶまれたときに、彼らの野生の実力をかいま見た。急遽書き替えられる台本、超人的な集中力でセリフを読みこなす代役の女優、自分の作業の時間を削って大きな損痛手をサポートするメンバーたち。断言できる。妥協や諦めの姿はどこにもなかった。なぜこれほどまでに困難な状況で芝居を創るのか。それは自由だからだ。

野の芝居

このごろはスター★ドームのおかげで、張りぼて演出の予算消化の空虚なイベント(もちろんみながそうではなく、そういうのは基本的に断っているけれど、残念ながら万博なんてその最たるものでありました)のお誘いをずいぶん受ける。それに比べるとなんという違いであろうか。いくら客が入っても決して黒字にならないテント芝居。お金があって、なにかをするのではなく、お金にしばられず、したいことをする。演劇にはまったく素人な私が、ひょんなことから関わりを持つことになった水族館劇場であるが、こんなすてきな人たちの近くにいることを許された特権を本当に感謝している。

しかも、単に観察するだけでなく、実際に参加する立場で加われたことは、人類学者としても望外の幸運である。異文化世界において「そこにいる理由」さえ与えられれば、フィールドワークの楽しみと実りは、8割がた保証されたようなものなのだから。

海の砦

すでにホームページなどを見て気づいていた人もいたかもしれないが、じつはほんの短いシーンに私も役者として出る。しかし実際のところ、ほかの俳優さんたちのすばらしい演技の邪魔をするのではないだろうか、物語に違和感のあるシーンを残してしまうのではないかと、最後まで悩んでいる。なにしろ素人なのだから、自分がなにをしたらいいのかまったく解らない。

舞台を作り上げてきた人たちがどれほどの苦労をしているかを知れば知るほど、生半可な気持ちで出演することに躊躇を感じ始めている。しかし、昨日の本番を想定した最後の通し稽古(ゲネプロというらしい)で、私の気持ちはきれいに吹っ切れた。私の目の前にあるのは真っ暗な(ちょっと信じられないくらい真っ暗な)客席だけだった。

私が向き合うのは劇団の俳優たちではなく客だ。これは私のための舞台でもある。私は私なりのやりかたで、お芝居を見に来てくれた人々に野生の芝居を伝えようと思う。

海の砦

いま無性に自分の作品を創りたくなっている。ものを創る欲求がこれほど高まっているのは久しぶりである。


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