[KOK 0264] こくら日記のトップページにとぶ 22 Nov 2005

海の砦(過ぎ去った今)

 

風のようにテント芝居は去っていった。

海の砦

私や、ともに動いた学生たちが、この芝居に関わったさまざまなことについて考えてみた。

ボランティアという気持ち悪い言葉や、シフトというアルバイト用語が、どんなにそこで起きていた現実に対して、的はずれな表現であるかを考えてみた。

つまり、「やること」と「やらされること」の違いについて考えてみた。

 お金が入るのは、人からさせられること
 自分からやりたいことには、たいていお金がかかる

私の常識ではだいたいこんな感じである。まあ、自分がやりたいことでお金が入ればいうことなしだ。しかしこのごろの大学周辺ではこの関係性の倒錯が進行している。

暇があればいそいそとアルバイトにかよう人が増えている。経済的理由というより空き時間に耐えられないアルバイト中毒のようだ。惜しむらくは低賃金の単純作業に、一方的に奪い取られている若い貴重な時間だ。でも、そんな人に限って「私、人からなにかをさせられたくないの」などという。あれれ?と思う。なんか変だよねこれ。

シフトとして決められたことはひたすら一生懸命こなすが、決められていないことはあまり関わろうとしない。でも、たいていの面白いことは、いつも決められていない時間に起きているのだ。それにいつまでも気づかない。もったいない話だ。

お金や時間を費やすことは誰かにたいする「奉仕」で、それを一生懸命することから満足感がうまれるらしい。「楽しみとか面白さとかいうけど、そんなの単なる自己欺瞞にすぎない」などという。おいおい、まじかよ。

 つまり、お金が入るのは、自分からすることで
 お金がかかることは、人からさせられてることというわけだ

だからフィールドワークや研究も論文を書いて単位をとるための義務で、面白さや楽しみはデータにもならない余計なものということになる。倒錯が起きているのは大学の中だけではないのかもしれない。世間にもそんな風に考える大人が増えている気がする。

テント芝居の中で、私たちは、「ボランティア」でもなければ、「シフト」でもなかった。芝居の制作に参加していたのだ。やりたいことをしている人たちの中で、やりたいことをさせてもらった。いやあ、楽しかった、楽しかった。それだけである。

満員御礼

しかしながら、おかげさまでお芝居は5日間で1600人が見に来てくれて、北九州の演劇シーンの常識をかえる空前の大盛況となった。なぜだろう。

公演まであと2週間に迫った制作団会議のときに、北九州の演劇界の顔役と自認する人がした発言を、私は今でもはっきりとおぼえている。「北九州ではこういう芝居はせいぜい200人くらいしか入らないですよ」。どこどこの組織が何人動員して、だれそれに声をかければ50人は確保できる。こちらがだす条件をのんでくれれば券を配ってもよい。彼の発言をきっかけに芝居の本質と関係のない議論が始まり、嫌な感じを受けた私は席をはずした。

結局、制作団は彼の提案を受け入れなかったが、このとき以外にも北九州の演劇シーンを憂う人たちが、実は内輪のタコ壺状態になっているのをしばしば感じた。ここにもひとつの倒錯がある。空前の1600人は、組織ではなくさまざまな個人のネットワークよって実現した。問題は人数ではない。その目撃者になった人が次にだれになにを語るかである。

何はともあれ、水族館劇場北九州公演はさまざまな人に影響を与えて幕を閉じた。またこの続きがあるだろう。なにより、なにより。しかしこれでも赤字なんだけどね。

海の砦

ところで、毎日私のお客さんが来てくれるので、日替わりゲスト出演のはずだったのに結局全部の舞台に立った。で、わかったことは私には役者はとても無理ということ。セリフを覚えられないし、演技もできないし。前回、「これは私のための舞台でもある」などと大見得をきったが、まったくもって、恥ずかしい、恥ずかしい。もう二度とないと思う。

海の砦


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