[KOK 0276] こくら日記のトップページにとぶ 10 Oct 2006

2億年のうちのわずか10年

 

キツネ憑きの娘に率いられるように現れた、黄金色の大舞踏団の列。日常の裏庭で繰り広げられた、さすらい人たちの物語。あのとき人工物によって覆い尽くされた都市の幻想が、無惨なまでにあらわにされようとしていた。それを目撃し、その危うさに気づいた人は、さほど多くはなかったかもしれない。でも、少なくとも私の目には、街が華やかであればあるほど、灰色の瓦礫の風景がいつまでも残像した。

大北九州イチバ劇場

街の繁栄は幻だ。芸術は、非日常という虚構の上に作られたもう一つの虚構だ。すこし前まで島に暮らしていた私の神経はいつになく敏感になっていた。

街にあるものは島になく。島にあるものは街にない。島には電気がない。島にはお金もない。街には時間がない。街には現実もない。実際のところ、島のリアルな世界から帰ってきたばかりのわたしの身体は、にぎやかな幻想の街を支配するやりきれない空しさに打ちのめされ、またたくまに疲労していた。

人間同士のつながりよりも、お金でものが動く社会。リアルな実存よりもヴァーチャルな虚構に快楽を求める人々。

島の人々は生きていた。自然の中でその日のご飯を食べながら。一方で、あいかわらず街の人々は死んでいた。人工の中でお金を必死に抱えながら。

だから街の虚構を虚構として暴き、その焼け跡の上でただひたすら「遊ぶ」ことだけが、唯一の近代という牢獄からの出口なのだ。ソロモンの人々はチャイナタウンに焼き討ちをかけることで、見事にそれを実践していた。

大北九州イチバ劇場

歌舞や芝居は「遊び」である。もともとなんのもくろみもないただの「遊び」である。この「遊び」すら都市の商業装置によって、イベントという名の予定調和に取り込まれてしまってはもうオシマイだ。それだけは避けたかった。「遊び」とは、偶然と、余裕と、危険と、意味がわからない不安の中にのみ生息するナマモノでなくてはならなかった。

昨年、名古屋の万博で出会ったバリ舞踊の人々と、東京で活動するテント芝居のメンバーに、いつかあらためて小倉に「遊び」に来てほしいと約束した。その約束をはたすために大北九州イチバ劇場をうちあげた。「遊び」ついでに、小倉の街を劇場に変え、市場の幻想を引っぱがし、電気がなくてもお金がなくても、最後に残るなにかを確認したかった。飯場の冬と、バリの夏。野生を知る彼らにはそれができると信じていた。

はたして、それはうまくいっただろうか。

大北九州イチバ劇場

そして私は私で、もう一つ別の舞台を用意していた。私が遠来の友人たちに一番見せたかったのは、島の人々が日常的に出会っている世界、自然が繰り広げる生身のリアリティだった。

頬にあたる冷たい空気、強い風に流される雲。辺り一面から湧き上がる虫の音。ぽっかりと口を開ける暗黒の洞窟。奇っ怪な石灰岩がたちならぶカルストの大地。くしくも天空には煌々と輝く中秋の十六夜月。街の遊びが、人工が生み出した虚構の上の虚構だとすれば、山の遊びは、人智を越えた偶然の上の偶然である。親しくなった友人たちをどうしても連れて行きたかったのは、その日だけしか見ることのできない、まぶしいばかりの三千世界だった。

10年前、私の初めてのゼミ生が、バイクの事故で命を落としたその場所を、10年前の中秋の名月の時に訪ねた。そこは銀色のススキの海の中に浮かぶ漆黒の道筋だった。そのときすこし酔っていたことを差し引いても、この世とあの世を結ぶ広大な月夜は、みたこともない美しさだった。しかし、そのあとも同じ街に住みながら、私自身もあれ以来その風景を眼にすることはなかった。

大北九州イチバ劇場

なにもいわず私が最後に用意した舞台は、お金も電気も関係ない、ただある瞬間だけにそこに出現する時間と現実だった。

自然による演出は、そのほとんどすべてを偶然のめぐりあわせに頼りながらも、ありがたいことに10年前のその風景を再演してくれた。夜には夜の顔を、朝には朝の顔を、昼には昼の顔を、隆起珊瑚礁台地という島宇宙は手を替え品を替え人間を「遊び」にいざなってくれた。

大北九州イチバ劇場

しかし、私の前宣伝が不十分だったせいか、それともみな「遊び」どころではなかったのか、残念ながら、お客さんたちは、10人ぬけ20人ぬけ、それぞれがあわただしく娑婆に戻っていった。そして気づけば最終章まで客席に残っていたのは、私を含めわずかに6人だけだった。6人は、遙かな草原を見おろす丘をめざし、ひたすら登った。

真っ青な秋空の下に、どこまでもなだらかに続く緑の野。2億年前に熱帯の海底に育ったサンゴ礁の塊が、2億年前の形でそこかしこに残っていた。2億年に比べれば、10年なんてどんなに短いことか。しかし人間にとってはその10年ですら大切なことを忘れてしまうほどに長いのだ。私たちはそこで「遊んだ」。大切なことがいつまでも記憶に残るように。

次にまたこの風景を見るのはまた10年後になるかもしれない。それは誰と見るのだろう。そのとき隣にいる人が誰であっても、10年後もまた同じ風景が見られたらいいなと思う。

大北九州イチバ劇場

※10年前の物語を綴った「こくら日記」は、ここにあります。
012 ■  01 Oct 1996 「平尾台の月」
011 ■  24 Sep 1996 「借金関係」

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