センター試験監督雑感

[KOK 0035]

21 Jan 1997


土曜日・日曜日とセンター試験の監督をした。

なかなかつかれる仕事であった。毎年毎年かりだされる人たちにとっては、ちょっとうんざりといった感じのようだが、わたしにはけっこうなつかしくも新鮮な体験であった。今から13年前に受験する側から見ていた風景と、今年受験される側から見た風景がこれほどちがうとは驚きであった。

試験監督中は暇である。暇であるが部屋の中には、100人の人間のものすごい緊張が渦巻いている。ものを考えるのには良い環境であった。いろいろ考えた。

ああ、この若者たちは、ひとりひとりなにを思って試験にのぞむのだろう。大学受験というのは、しょせん大学側にとっては、必要な学生を選ぶための「手段」でしかない。しかし、そのことがちゃんとわかっている人はどのくらいいるのだろう。一生懸命模擬試験で練習したり、人生かけた気になって思い詰めたりしているうちに、いつのまにか受験が「目的」になっちゃうんだろうな。悲劇だなほんと。

機会の平等性と客観性を維持するために、センター試験ではいじましいほど細かく試験の進行のためのマニュアルができている。たとえば日本中の試験監督に配られる監督要領の「試験実施当日において想定される事例と対応措置」にはこうある。

Q:耳栓の使用を申し出た受験生がいるが認めてよいか。

A:監督者の指示等が聞こえない場合もあるので、認めないでください。

Q:試験中に鼻血を出したため、解答用紙に血がついた。交換すべきか。

A:受験生本人から交換の希望が出されれば交換し、汚損答案として取り扱ってください。

しかし、大学側が必要な学生っていったいなんだろ?平等性と客観性はどこまで大切なのだろう。

先週、新三年生のゼミ分けがあった。ゼミの説明会で、「わたしのゼミは、フィールドワークが主体ですので、三ヶ月くらいはどっかいって調査することが条件です。」と宣言したところ、これが思いの外、学生たちにはショックだったようで、「竹川ゼミは来年0人か?」という下馬評がまことしやかに流れたりした。

しかし、幸いなことに5人の勇気ある人々が集まった。今後が楽しみである。大学側が必要な学生の条件はよくわからないが、わたしにとって必要なことは、 おもしろい話ができる人で、まあ、とにかく、世の中とか人間のことをよく考えてる人かな?いっしょに仕事をしていて、楽しい人がいいな。

そう、完全に主観が基準だ。しかし、人類学者を仕事にしている以上、こちらも人間観察のプロである。へたなマークシートテストよりは、的確に人を見つけられるのにと思う。ほんと、受験生の中から直接ゼミ生を選ばせてくれたらいいのにな。もちろん本人の意思も尊重したうえで。

いろいろと批判があるとは思うが、マークシートをするにせよ、わたしに面接させるにせよ、下手に平等性や厳密性をもとめるよりも、運やランダムさがあった方が、よいと思う。断固、大学入試にくじ引きを導入すべきだ。そんなので落とされたらたまんないって?しょせん世の中こんなもんよ。

だいたい努力は、ほっといても結果で報いられることが多いのだから、ことさらに努力や根性そのものを賛美するのはまちがってる。それに運なら、絶対に自分のせいじゃないんだから、あきらめもつくでしょ。だから、努力点半分で運半分の、合計1000点満点てのはどうだ。

p.s.今年の年賀状関係者で、この号より「こくら日記」配布する方がふえたの で、少し書いておきます。「こくら日記」は通常のメイリングリストとは 異なり、竹川大介から一方的に配布されますが、主旨は相互コミュニケーションです。あんまり音信がないと、とてもさみしくなる(泣いちゃった りするかも)ので、ときどき(五回に一回くらいは)「よんでるぞ」とメイルをください。「こくら日記」に関して送っていただいたメイルには、いつも個人的に返事を書いています。非常に重要な話題に関しては「こくら日記」の記事にすることもあります。まあ、わたしが勝手に考えてることを書いてるだけなので、つまらんかもしれません。いらなくなったら「いらないぞ」とメイルください。

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