時をかける老婆

[KOK 0068]

29 Sep 1997


夢を見た。

そこは沖縄の宜野湾あたりの、せまい路地を入りこんだところにある、鉄筋コンクリートの家で、わたしは一人の老婆(沖縄風に言えばおばあ)にあっていた。

老婆は、わたしのことを以前から知っていたらしく、しきりに懐かしがっていた。しかし、どうもそれはまだわたしが、ごく小さいころのことだったらしく、わたしはまるっきり覚えていなかった。

「ずいぶんよく昔のことを覚えていますね」わたしは彼女の記憶力に感心してこう言った。老婆は、そのしわだらけの顔をくしゃくしゃにして笑った。そしてぽつりと言った。

「時間をいったりきたりできるからさ」

わたしが興味深そうに顔をみつめると、さらに続けた。「時間は路みたいのもので、やりかたさえ分かれば、前とか後に自由に行き来できるんだよ」老婆の話では、彼女が生きてきた間であればどの時代にでもすぐに行けるのだという。

わたしはタイムパラドックスという古典的なSFの命題を思い出して、そのことについて老婆に問いただすと、こういう答えが返ってきた。彼女はいつの時代に行っても、二人になるわけではなく、その時その時の彼女自身になるのである。つまり昔に戻れば戻るほど若返っていくのだという。だから、赤ん坊以前には戻れない。どうやらパラドックスは回避できそうな気がした。

そして、もうひとつ、まだ「行ったことのない」未来には行けないのだと付け加えた。つまり、彼女にとっての時間旅行は、すでに彼女がとおってきた「軌跡」の上を往復するということらしい。

しかしもちろんそれは、単なる記憶の世界の話ではなく、現実に、老婆はのぞみの時代に行き、それを体験するのだという。たしかに彼女の詳細で生々しい話は、すべて最近実際に体験しているもののように思えた。

わたしは、すっかり感心して「どうしたらそんな能力をもてるのか」とたずねた。老婆は「こんなことは、だれにだってできるのに」といいながら、その秘密を語り始めた。

老婆の長い説明によると、人々は反対の方ばかりを見ているから、時間旅行ができないのだという。後ろ向きでは路も歩けないのだそうな。ここでもっとも肝心な点は、時間にたいして自分の体を未来に向けるのではなく、過去に向けるということらしい。いつも過去を向いている老婆は、未来むかって背中からただ押し流されているだけなのだという。

老婆は続けた。時間の路には前と後ろがある。ほとんどの人は、未来が前で過去が後ろだと思っているが、それは大間違いで、実は過去が前で未来が後ろなのである。それさえわかれば町の中の路のように時間は自由に移動できる。

「言葉で考えてごらん。三日前。三日後。どちらが過去でどちらが未来かね。『前に見たことがある』『後でやっておくよ』どちらが過去でどちらが未来かね」

わたしは、老婆の説明に納得させられてしまった。「たしかにいままで、時間の正しい向きを間違えていたようです。だからわたしには時間旅行ができなかったのですね。それで、過去のほうを向くにはいったいどうしたらよいのでしょう?」

老婆は言った「未来を見ないことさ」。

妙に論理的な、こんな夢だった。

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Takekawa Daisuke