ふたつの世界がぶつかって
宇宙の秩序が乱れたとき
心の安寧を回復するために
人々はなにを求めるのだろうか
ふたつの世界の感情的なわだかまりは
いったいどれほどの暴力による強権と
いく人の死をもって贖われるのであろうか
![気球](../img/242-3.jpg)
古来より人は、
宇宙の秩序を回復するために
さまざまな儀式をおこなってきた
怒りを悲しみに
恨みを悼みに
不安を平静に変えるための
特別な儀式をおこなってきた
人類の歴史を概観すると
戦争もまた儀式のひとつであった
だがそこで求められていたものは、
強弱の決着ではなく
ましてや屍の数の多寡でもなかった
![気球](../img/242-1.jpg)
近代における戦争観の根本的な誤りは
勝ち負けという名の合理性のもとで
そのすべてを説明しようとしていることだ
国民は全員が死ぬまで国家に忠誠をつくし
総力戦をもって相手を屈服させるべしという
その合理性こそが
殲滅作戦に意味を与え
歴史上未曾有の大虐殺を正当化した
原爆という大量破壊兵器が有効なのは
そこに住むすべての人間を消し去ることができるからだ
しかしながら実際のところ
近代の今においても
戦争とは合理性の問題ではなく
象徴性の問題として説明されるべきなのである
その証拠に戦争の報道を見るがいい
人々が心を寄せる建物を破壊したり
征服者が銅像に紐をつけて引き倒したり
血眼になって相手の大将を探し出そうとしたり
相手の戦力とはほとんど無縁なシンボルに
私たちがこれほどまでに執着するのはなぜだろうか
![気球](../img/242-2.jpg)
そこで人類学者の私は
不毛な合理性にかわって、
豊穣な象徴性に基づく
新しい世界秩序を提案したい
ふたつの世界の軋轢が高まって
戦争が避けられなくなってしまったとき
失われた安寧を回復するために
私たちは自らの首長の生命を相手にさしだそう
そのかわり相手もまた自らの首長の生命を贈りかえすのだ
王や首長とは
そうしてすべての人々の怒りや恨みや不安を背負う存在であり
だからこそ尊敬を受けるのである
戦争を終わらせるためにもう原爆なんていらない
不合理に見えるかもしれないが
戦争を仕掛けた方も仕掛けられた方も
それぞれが愛する首長の死をもってそれを贖う
数え切れないほどの兵士や市民の死のかわりに
たったひとりの首長がすべてをひきうけるのだ
![気球](../img/242-4.jpg)
さて、フセインを捕らえたアメリカよ
お返しにブッシュをさし出そうではないか
それで戦争は終わる
私たちは幾百の兵のかわりとなった首長の死を悲しみつつ
英霊として丁重にあつかい敬うことだろう
いつの時代でも王や首長として選ばれた人間は
人々の生命を背負うべき運命と引き替えに
そうして権力を預かるのだ
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